gluewineのブログ

HSPなReaです🐈🍷身も心も温まるシナモンが入ったあったかいGlue Wein🍷でほっこりブログ

今に集中すると思考はシンプルになる

こんにちは。

 

週末はのんびりするのが好きなのですが、

今週末は4連休をいただいてるのもあって、

土日とも友人とDinnerをしました。

 

この国では2人までお家に招待して大丈夫です。

レストランやバーは一時的に閉まっているので、外食は出来ません。

友人といっても、ランダムに沢山会うのはリスクなので、

決まった数名の友人と定期的にご飯しています。

 

招待されるのはいいのですが、招待した時には少し忙しいですよね。

食事の準備をしながら会話を楽しんで、時間配分をして、飲み物準備して、

あとはHSPならではの様々な気配りと心配性を発揮して。

 

最近は慣れましたが、最初は皆器用すぎる!そんな風に思いました。

ヨーロピアンは家に人を招待することに慣れているので、

上手にしゃべりながら、料理をして、テーブルをセットして、

飲み物を準備して、出来立ての料理を振舞うまでてきぱきこなしていきます。

私はてんやわんやで、

頭は料理の手順でいっぱい、でも会話しなきゃ、でも料理もしなきゃで、

その結果、あれ忘れてたこれ忘れてた状態でした。

料理も会話も完璧にこなそうと思った結果、逆をいくわけです。

 

HSPは色々なところに気を配っており、かつ完璧主義であるため、

同時進行で何かを行うと注意散漫になってしまうことがあります。

例えば、今回のように友人と話しながら料理してる時に

火を消しそびれたり、

慣れない車の運転をしながら友人を迎えに行って、道を間違えたり。

一見誰にでも起こりそうなうっかりミスに思えますが、

このうっかりをしてる時のHSPな私の頭の中は、

20個くらいの事を同時に考え処理した結果、間違える、そんな感じです。

車の話しで言うと・・・

サイドブレーキの確認、レバーがドライブに入ってるか確認、車線に入るために後方確認、友人と何を話そうかな、友人はこの車心地よいだろうか、待たせ過ぎなかっただろうか、疲れてるように見えるけど大丈夫かな、そういえば彼とうまくいってないって言ってたな、あれサイドブレーキ戻したかな、免許証は持ってきてたかな、あれお財布どこかな・・・等々

こんな事を瞬時に考えながら、かつ口頭で会話もこなして行く。

そりゃ道くらい間違えますよね。

気を配りすぎるあまり、感性が働きすぎるあまりの注意散漫です。

 

気を配っていようと注意散漫はミスにつながって危ないし、

自分でも思考の落ち着きのなさが感じられます。

なので注意散漫になってきたと思ったら、

出来る限り今行っている一つの事だけに集中するように気を付けています。

運転中は運転のみ、しゃべってる時はおしゃべりのみ、

玉ねぎを切ってる時は、切るのみ、

その後何しようか、友人への気配りは後回し。

 

とはいえ、友人を完全無視ということも出来ないので、

優先順位を第2位くらいまでなんとなく意識しておきます。

第1位は車の運転、2位は友人との会話、その他は後程とか

第1位は友人との会話、第2位は料理、とか

そうすると同時に何かを求められても、

自分の中でどっちを優先して、どっちを切り捨てていいかが判断できます。

運転中であれば、会話がおろそかになってもいいんです。

友人を招待したなら、料理に時間がかかったって

出来栄えが思った通りにならなくてもいいんです。

完璧を求めない事に気を付けます。

 

この注意散漫は仕事中やいろんな場面で発生します。

そんな時は、頭の中で散乱している気になっていることを一旦紙に書き出して、

後は優先順位をTop3くらいまで考えて一つずつこなして行きます。

 

思考は、自分が思っているよりシンプルになるはずです。

複雑にしているのは自分自身です。

今やっている1つの事だけに意識を向ける、それだけです。

 

Rea🐈🍷

 

それぞれの街のエネルギー

こんにちは。

 

仕事中のHSP勃発はさておき、今日は少し仕事外の生活について…

つい先月私は中心街と呼ばれるところから、

隣町の住宅街に引っ越しました。

個人的には中心街で問題なかったのですが、

借りていた物件が2年上限という契約を知らされておらず、

それを知らされてから1か月でバタバタ引っ越しました。

偶然友人が所有していたマンションが空き部屋状態ということで

入居させてもらうことになりました。

それが隣町の今住んでるお家です。

 

半ば強制的にここの街に移る事になったことに、

なんとなく縁を感じていました。

この街に引っ越してから、私はとても安心して、

リラックスした毎日を過ごし始めました。

静かな街で、人通りも少なく、時間の流れがゆっくり感じられます。

 

以前の家にいる時は気付きませんでしたが、

以前の家は中心街でしたので、常に人が行き来し、隣人がパーティをし

なんとなく騒がしい、落ち着かないそんな空間だったのかもしれないと

今になって思います。

また同世代の人たちが中心街には沢山いますから、

無意識に人と自分を比較し、焦燥感があったように思います。

今いる街は、お年寄りの方も多く、楽しいというより、住みやすい街です。

お陰で私は、私だけの空間で、焦燥感にかられることなく

心行くまでリラックスした至福の時を楽しめてるのだと思います。

 

今日は予定があって、以前住んでた街に行きました。

度々訪れてましたが、コロナの影響もあって、今回は久しぶりでした。

隣町なのでほんの20分で着きますが、

久しぶりの中心街に、刺激の強さを感じました。

街のエネルギーですかね。

人が多くて圧倒されるとかそういうことじゃなくて、

体にかかるGが違うというか。

 

今の自分がいるべき街がきっとあるんでしょうね。

私と同じ周波数の街。

どっちが高くてどっちが優れてる、とかそういう事じゃなくて。

一緒にいて心地よかった友人が、数年後になんだか合わなくなったりする。

そういうのに似てると思います。

 

本当に人生って不思議ですね。

あなたが今いるべき場所はここです。

そんな風に言われたような、半ば強制引っ越しでありました。

ちゃんちゃん

 

Rea🐈🍷

安心を選択していく

こんにちは。

 

今日は少し調子が良かったです。

昨日自分で言ったように、私は危険信号の中にいるだけ

と唱えるだけで、ふっと不安から距離を取ることが出来ました。

 

ただHSPが暴走してる時は、Discussionや説明を求められるのがストレスです。

言わなきゃって思うんだけど、しゃべりだせない。

しゃべりだした後の長い道のりを考えると、スタートが切れない。

上手く説明できるかな、皆が私だけに注目するな

どんな質問がくるかな、そんなことも気付かなかったのって思われるかも

間違ったこといっちゃうかも、わかってないって思われるかも

そう、いつもの「かもかも病」ですね。

 

仕事なので、情報は伝えなきゃって思うんですけど、

HSPが一度でも暴走すると、

今まで知らずのうちに持っていた勇気が、突然姿を消してしまいます。

一度隠れてしまった勇気は、すぐには戻ってきません。

ゆっくりゆっくり時間をかけて戻ってきてくれます。

だから勇気が戻ってきてくれるまでは、

今まで以上に自分に優しく、圧をかけない。安心できる方法を探ります。

 

人に何かを伝える方法はしゃべることだけじゃないです。

そう思って今回はメールで説明して、ちゃんと読んでねと伝える事にしました。

そうしようと決めた事で、大分気持ちが楽になりました。

 

日本で働いてた時は基本情報共有はメールでした。

この国で働くようになって、一番初めに感じたギャップはそこでした。

情報共有は常に口頭。

メールは見落とす人が多いからという理由です。

加えてボス自身がメールを打つのが面倒くさいという理由です。

そもそも日本だったら、

メールは見落とす人が多い、とボスが言うなんて考えられませんが。汗

 

業務的に考えても、私はメールの方が結果効率がいいと考えます。

海外は休む人が多いし、週4勤務が普通です。

そうなるとほぼ毎日誰かしらいません。

つまり、誰かしらがその情報を受け取ってないことは確実です。

休んでた人に情報共有する習慣もありませんので、情報は穴ぼこだらけです。

またその場で聞いた人も、日々の業務に追われれば記憶があいまいになります。

そんな時メールがあれば、再度事実確認が出来ます。

なので、口頭のみの情報共有は良くないと伝えたのですが、

習慣を覆すことは出来ませんでした。

そもそもボスが口頭派なので、後ろ盾なしでは革命は難しいですね。

その結果やはり、皆理解出来てるのか出来てないのか、

あいまいに物事が進んで、こっそり同僚に聞くなんてことが頻発です。

 

このような文化の違いからくるストレスも、

私のHSPが発動することになった一つの要因です。

私は海外で育っていますが、日本人学校に行きましたので、

プレゼンテーションなども少なく、授業も日本的な受け身スタイルでしたので、

やはり海外の子のように意見をどんどん発言していくこと、

また意見をはっきりYes,Noで述べられることに、そもそも慣れていません。

それに加えてHSPですので、安心できるところでしか発言を楽しめません。

 

なんとなく皆に合わせて発言していかなきゃって思ってたけど、

私がメールで情報共有することを貫くのに、何か問題があったでしょうか。

それぞれ得意不得意あります。

私は私を貫けばいいんじゃないでしょうか。

少なくとも、もしそれがダメなのであれば注意してもらえるはずです。

私の好きな名言があります。

 

「どうして自分を責めるんですか?

他人がちゃんと必要な時に、責めてくれるんだからいいじゃないですか。」

                      アルベルト・アインシュタイン

 

皆がどうであれ、私は私が安心出来る方を選択していく。

必要があればボスがこうしてほしいと伝えてくれるはず。

私はただ、私にとって居心地のいい環境を作っていけばいい。

それが私のために生きるということ。

 

Rea🐈🍷

不安という囚われから解放される

こんにちは

 

HSP勃発の日々を送っております。

やっぱりビデオオンが発端で、HSPが久しぶりに稼働し始めましたね。

おかげでビデオ会議が始まる夕方4時まで憂鬱な毎日です。

つい2週間前までは、何の問題もなく会議に参加し、

雑談を楽しんで、冗談を言って、リラックスしてたんですけどね。

気になった一つの事が、全然頭から離れていかない。

そんなHSPの気質があると思います。

 

今覚えば小学校のころからそうだったと思います。

機嫌悪そうな子がいると気になって仕方ない。

笑ってくれるまで目の前で変な事しまくってみたり。

友達にちょっと変な態度を取られると、どうしてかなって

気になって頭から離れなくなって一日中機嫌を伺ったり。

食べ物でもちょっと気になるものがあるともう食べれなかったり。

 

このビデオオンが発端で私の中で何が起こってるかというと、

 

上手く説明できないかも

変な英語話しちゃうかも

何言ってるかわかんないって思われるかも

こいつ出来ないなって思われるかも

なめられるかも 

馬鹿にされるかも

可哀そうって思われるかも

なんで緊張してんのって笑われるかも

がっかりされるかも

 

こんな、かもかもが頭の中で渦を巻いていて、その結果

皆の前でしゃべりたくない

難しい話したくない

会議に参加したくない

になってるわけです。

 

誰だって、予測不可能な現実に

思いつく限りの不安を背負って立ち向かったら、

最初の一歩だって出せませんよね。

この下に地雷があるかも

誰かが見てて爆弾のスイッチを押すかも

落とし穴があるかも

そんな風に生きてたら、その場で立ち尽くすしかないですよね。

 

それを私はやってるんです。

今私は立ち尽くしてるんです。

見なくていい不安並べて、立ち尽くしてるんです。

 

この不安は体の生理現象、危険信号です。

事実とは違います。

不安を感じてる体は事実かもしれませんが、不安自体は事実ではありません。

妄想です。

なので、この不安に反応する必要も、否定をする必要も、どちらもありません。

今日も体は正常に危機管理をしてくれている。

本当はそれだけの事です。

 

会議が嫌なら参加しなくたっていいんです。

緊張するならお人形のように座ってるだけでもいいんです。

何かしなきゃ、なしとげなきゃ、そう思ってるから緊張するんです。

自分に鞭を打つことが私の癖ですから。

その癖がゆえに、この危険信号という不安なわけです。

ではまずはその癖をやめる事です。

 

何もしない自分を許すこと。

何もできない自分を愛すること。

 

不安にのまれ、囚われてる時、

囚われていることに気付くのは難しいです。

夢の中で夢の中にいると気付くのが難しいのと同じです。

囚われてる時は、不安が現実で事実になってしまっているから。

なので不安に耳を傾ける習慣を持って、

異常な不安を気付いた時は、

ああこれは事実じゃない、私は体の危険信号に中にいるだけ

そのように夢から現実に戻るように、

映画などの感情移入から自分に帰るように

ふっとその囚われの身を開放してあげるだけでも

きっと不安が私に与える影響は減少するのではないでしょうか。

 

Rea🐈🍷

私のHSPの歴史と今

こんにちは。

 

自分がちょっと人とは違うんじゃないか

そんな違和感を覚えてから一年半くらいが過ぎました。

 

勿論今まで、小心者、神経質だの親から言われてきましたし、

確かに異常に人の気持ちをくっみ取ったり、空気がすいすい読めちゃったり、

人からどう見られてるかに気が行きすぎたり、いい子でいることに囚われたり

色々生きづらいと感じるのは日常茶飯事でした。

それでも生きづらい事は私にとって普通であり、

皆もそうやって生きてるんだと思ってました。

 

なので、私の心はちょっと人と違うんじゃないか?

とやっと感じられたのはつい1年半前のこと。

最初に違和感を覚えたのは元彼と別れ話をしている時。

別れ話は誰でも心が揺れる状況ではありますが、

それまでも度々自分の心や頭のざわつきに不安を覚えていたので、

どこかでずっと生きづらさに対する答えを求めてたのもあり、

閃くものがあったのかもしれません。

別れ話の中で私は涙したのですが、この涙に違和感がありました。

自分の悲しさからじゃなくて、

私は彼に感情移入して泣いてるのです。

彼の感情で泣いていると感じたのです。

 

その時に初めて感情移入が異常なのではないか?と疑問を覚えました。

これまでも悲しいテレビ、映画は見れませんでした。心がつらすぎて。

主人公の気持ちになりきり過ぎて、映画中も嗚咽が出るほど泣き、

見終わったあとは心がボロボロで放心状態。

皆も泣いてはいますが、皆も悲しいと言っていますが、

何か違いを感じる、と常々感じていました。

そしてやっと、ちょっと異常そうだぞと気づくことが出来ました。

 

そこで感情移入について調べたところ、HSPにたどり着きました。

人との境目が薄いため、自分の事にように相手の感情を受け取ってしまう。

感性が優れるため、想像力が豊かで、ありありと状況をイメージ出来てしまう。

そんなHSPの特徴が私の異常な感情移入を作り出していました。

HSPの特徴といわれてるもの、どれを当てはめても、

今までの自分の生きづらさにリンクするところがあり

驚き、救われたような感覚でした。

 

いつも自分を責めてました。

弱い自分、上手く出来ない自分、自信のない自分、臆病な自分

人の顔色をうかがう自分、嫌われたくない、小さいことが気になる自分、

全てのHSPの私をネガティブに捉え、嫌ってました。

皆が楽しめるものが楽しめない。

でもそれが私のせいじゃなかったと言われたようで、

私の努力ではどうにもならないものだと知ったことで、

心が軽くなり、空も飛べるような気持ちになれました。

救われた。本当にそう思いました。

私はこれでいいんだ。これが私なんだ。私は悪くなかったんだ。

そう思う事ができました。

 

でもここはただの始まりでした。

じゃあHSPの私を知ってどうするの?どう付き合っていくの?は別の話。

気付いて空を飛べるような気持ちは長く続きませんでした。

勿論HSPという本質が変わるわけじゃないからです。

HSPである自分を認識した。それだけの事。

心、思考の癖は一瞬で治るものじゃありません。

 

それからは沢山の本を読みました。どう付き合っていくべきか。

心理学、仏教、キリスト教、スピリチュアル。

ジャンルは何でもいいと思いました。

どんな自分も許せれば、どんな自分も愛せれば、そこへのたどり着き方は

正直何でもいいんじゃないかと、本を読んで心が救われるのを感じながら、

そう思いました。

 

私は毎回違います。

心が押しつぶされそうになる時、この波は定期的にやってきますが、

自分の心と向き合い、その時に自分に必要な、心が軽くなる言葉を探します。

それが心理学の言葉だったり、キリストの言葉だったり、

もしくはYoutubeを見ててたまたま耳に入った言葉たっだり、様々です。

 

そんな風に常に心の様子を感じながら、

異常を感じた時には立ち止まって心と話し合う。

地道ですが、そんな風にして毎日を過ごしています。

 

HSPだと気付く前と気づく後、どう変わったかというと、

気付く前は漠然と生きづらくて、不安で、怖くて、

でも人ってこんなもんなんだろう。そんな気楽な一面もありました。

 

HSPだと気付いてからは、自分の心の動きを感じ取るようになり、

喜怒哀楽全ての感情に気づき、耳を傾けるようになりました。

自分の不安、恐怖に耳を傾けるのは簡単ではありません。

HSPだと気付く前は見過ごしていた、なんとなくやり過ごしていた不安にも、

立ち止まり、耳を傾けるようになりますから、

こんなにも自分は不安を抱えていたのかというショックと、

その不安とこれから向き合っていくという長い旅を思って

HSPと気付く前よりもストレスに感じる時もあります。

 

でも気付くことがやっとスタート地点。

気付いてからやっと次の一歩が踏み出せますから、

通らなければならない道なのでしょう。

 

もう何十年とHSPと知らず生きてきて、凝り固まったこの思考を

数年で理想通りにしようなんて思わない事です。

もし30年この思考とつきあってきたなら、

30年かけて気持ちいい自分でいられるように矯正していくことです。

焦らずゆっくり向き合っていきましょう。

 

薬とか最新技術で一瞬で思考矯正して、いつでもハッピーでいられる自分

そんなのがあったらいいですけど、

そういうのを求めて危ない道に行く人もいますが、

その幸せは一瞬のものです。

私が求めてるのは一生の幸せです。

そしてその幸せを与えてあげられるのは自分です。

これまでの生きづらい人生を共に歩んでくれた自分が

私を幸せに導いてくれる正体なんです。

 

HSPはどうしても情報過多になりがちです。

人との会話、メール、テレビ等、の一般的な情報から

通常の人が吸収する10倍の情報をHSPは頭の中で処理しています。

なので、まずは自分の疲労や心の声に気付くことです。

それに慣れてきたら、

自分で情報量をコントロールしていくことです。

人と会う頻度、テレビを見る時間、見る番組、SNSの制限。

そのようにして情報を減らしていって、それでも情報過多になりますから、

このようにして自分の思いを吐き出して行くことで、

バランスを保っていく。

 

私もまだまだHSPと知ってから1歳半。よちよち状態ですが、

ここで自分の感情を整理しながら、

HSPの皆さんのためになる情報をシェアしていきたいと思います。

 

私たちは一人ひとり、生きているだけで、祝福されています。

 

Rea🐈🍷

HSPの伏線と姉の愛

こんにちは

 

私は小さい頃から、気が小さいとか、怖がりとか、気にしいだと

思いこまされてきました。

小さい子供は、無意識な自分の体の反応に疑問を覚えたりしませんから、

その子の反応を見て、レッテルを張るのはいつだって大人です。

そしてそれがネガティブなニュアンスである事くらい

子供ながらにわかります。

だから私は人より気が小さいんだと思い込んできました。

普通の人より劣ってるんだ。

HSPなだけだ、と数十年後に気付くまで、そう思ってきました。

 

この思い込みは、今後の人生、私が私に鞭を打ち続ける理由になりました。

皆みたいに出来なきゃいけない。頑張らなきゃ。人並みになれるように。

普通に生きてるだけでは気が小さくて、怖がりなので、

いつだって自分に鞭うって気を張ってないと、

皆のような普通にはなれない。

 

この思い込みはどんどんこじれて私の対人関係を複雑にします。

気が弱いから舐められないようにしなきゃ。

皆に馬鹿にされないようにしなきゃ。

有名大学に入ろうと、大手企業に勤めようと、

人から劣っているという思い込みがなくなることはありませんでした。

むしろ本当に出来る人たちと生活を共にし、負けちゃいけない。

そんな気持ちが強まる一方でした。

 

そんな複雑な感情のまま大人になって社会人になった私は

私の頑張る思考とは裏腹に徐々に体に限界が来ます。

当時はHSPの存在を知りませんので、案の定

私が気にしいだからストレスに耐えられないんだって思ってました。

 

突発性難聴になりました。

1週間お休みをもらい、高い専門のお薬を処方してもらって、

まともに聞こえるようにはなりましたが、今も疲労がたまると耳鳴りがします。

1週間後からは、特に具体的な対策もなく、また自分に鞭を打ち続ける日々。

体の声に耳を傾けるという意識は当時まだありませんでした。

 

それから1,2年がたった頃、毎日蕁麻疹が出るようになりました。

何故か決まって、お昼を会社で食べた午後、

必ず目の周りがぶん殴られたように腫れ上がる現象が、

ほぼ毎日2,3か月続きました。

これは毎日ではないですが、今も定期的に腫れ上がります。

あまりにもひどい時は帰宅しましたが、

人が見たら眉を顰めるほど痛々しい、無残な顔で働き続けました。

 

脳や思考、心よりも先に体が、自分を否定し鞭を打ち続けている

私の生き方に悲鳴を上げたのでしょう。

その矢先、今私がいるこの国での仕事の話が舞い降りてきました。

ここを離れて自分と向き合いなさい。

きっと来るべくして来たこのタイミングだったんでしょう。

 

ご縁あってこの国に来て、HSPだと気付かされることがあり

さらにはばっちり、初めて鬱を経験させてもらい、

心と体を痛めつけて、一生懸命生きてきた人生のステージは一旦終わって

今は自分と向き合って、知って、受け入れていくステージに突入したのかな。

どのステージも簡単ではありません。

 

やっぱりまた鬱になりそうな自分にがっかりしちゃうんです。

また今年も鬱になるんだ私、って。

想定してたし、準備もしてたけど、やっぱりね。

ならないに越したことはないから。

でもね焦らずゆっくり、心の声聞いて、自分のために生きていけるように。

 

人に相談することがどれほど難しいかって痛感します。

HSPであることを私は伝えるようにしてると前回のブログに書きましたが、

どれほど深刻な状態なのか詳細にはいいません。言えません。

どこかで私はずっと元気で楽しい私のままでいたいんです。

そっちも本当の私だし、ずっとそっちの私でいたいんです。

私の容姿、雰囲気がは鬱やHSPの特徴とはかけ離れたものです。

誰も私が一度だって死がよぎったことがあるなんて思いもしません。

勿論私だって深刻にHSPの話なんて出来ません。

だって私はHSPです。

HSPが意図的に人に心配かけるような言いまわしをするわけないじゃない。

いつだって心に反して元気を装う、そういうもんです。

 

でも今年も鬱の気配がやってきて、少し動揺してるので、

満を持して姉に電話してみました。

姉には面白可笑しく全ての私の身に起きたことを伝えています。

もう泣きながらなんて伝えられないんですよ。

やっぱちょっとこんなことで悩んで恥ずかしいとか、

こんなに元気に振舞っておいて、本当は泣けちゃうほどつらいとかって

やっぱちょっと恥ずかしいです。

でも泣いてでも感情を聞いてもらえる相手が

HSPとしてこれから生きていく上で絶対必要だなって思って、

誰がいいかなって親友とか親とか上司とかいろんな人の顔を一周して

やっぱりお姉ちゃんになりました。

お姉ちゃんとは年子で、お互い多少ライバル視しながら切磋琢磨

生きてきたから、あんまり弱いところはあえて見せることはなかったけど

大人になるとやっぱり、お互い色々あるから支えあって生きている

そんな感じが数年前からありました。

 

泣こうと思って電話したわけじゃなくて、

今の気持ち、不安を聞いてほしかっただけなんだけど、

やっぱしゃべってると涙腺ゆるんじゃって。

これから来るであろう鬱が不安になって、

どうしようねもし私が死を選んだら、ってそんな不安を自分に問いかけてたら、

 

生きてくれてるだけでいい、

生きてくれてるだけで感謝してる人がここにいる事忘れないでね

 

ってお姉ちゃんが。彼女も照れ臭かったでしょうね。

私たちはべたべたな姉妹ではないですから。

おかげで涙腺はゆるゆるです。

そうだろうとは思ってても、やっぱり言葉にしてもらえるだけで救われます。

 

ありがとう、お姉ちゃん。

お姉ちゃんもね。

 

今日は沢山寝てリセットしようと思います。

 

Rea🐈🍷

HSPは1ミリずつ前に進もう

こんにちは。

 

自分のメンタルと向き合ってる時。

たまに途方もない不安に駆られますよね。

この戦いって終わるのかなって。

多少HSPと上手く付き合えるようになっても、

終わることはない。

だってHSPは私で、私はHSPだから。

この顔が変わらないように、HSPだって変わらない。

それが私だからね。

顔のお手入れをするように、HSPと向き合いながら生きていく。

それでも年齢と共に入る皺に不安を覚えてもしょうがないように、

それでもやってくるHSPな自分をただ受け入れて、また向き合っていくだけ。

 

それでも、自分がHSPだと気付いた今の私は去年の私とは違う。

HSPと知ったことで、自分の不安に耳を傾けるようになったから、

さらに何が私を不安にさせているか、気付けるようになったから、

早い段階で対策を取ろうと動くことが出来るでしょ。

 

去年の私はただただ不安で、漠然となんでだろう、怖い、

いつまでこの恐怖は続くの、自分が嫌い、人が嫌い、生きる価値もない

もう自分が誰なのかわからない。そして限界を迎えて会社で号泣。

ね。全然違う。

 

別にまた号泣したっていい。また限界迎えてもいい。

そこは忘れちゃダメ。

しちゃいけない、しなきゃいけないことなんて存在しない。

制限をつけて自分に鞭うってるのは自分だから。

いつだって自分に許可を出してあげて。

 

でもこれっていつ終わるの、私はちゃんと変われてるのって

漠然と不安に襲われた時、

少しずつ、1センチずつでも前に進んでる自分を思い出す。

大丈夫。1年で対策がとれるまでになった。

なんて立派なんでしょう。

 

私はHSPであることは、タイミングがあれば人に伝えるようにしています。

お情けがほしいとかじゃなくて、

やっぱり真面目で完璧主義なHSPは、自分で自分の首を絞めてしまうから、

自分の逃げ道を自分で作ってあげる。この努力が大事。

 

私はBossに、今後オンライン会議では全員ビデオをオンにするようにと、

半ば強制的に言われた先週から、メンタル不安定が始まりました。

最初は、んー不安定だな、冬が来たからか?と思ってましたが、

ちゃんと心を見つめてればわかりました。

 

人に見られてること、大人数の顔が画面いっぱいに並んでいる事で

HSPが暴れだし、言葉以外の沢山の情報を処理りし

全ての感性を酷使して、パニクっている事に気付きました。

 

良くない傾向でしたので、すぐにBossに事情を説明し、

オフでも構わないと承諾をいただきました。

それだけでどれほど ほっとするでしょう。

そして更にはITに強い同僚にも相談して、

皆の顔を見ないで済む方法はないか聞きました。

ビデオ画面をミニチュアにする方法があるということで、

教えてくれるそうです。

こうやって対策が打ててる自分にとても満足しています。

 

HSPじゃない人から見れば、ただの気の小さい人、こんなことで騒いで

と思われるでしょう。

HSPからしたら一大事です。

大げさでなくその先に命を絶つという現実も存在するのです。

私はこの不安、緊張を毎日味わうのかな。終わりは来るのかな。

そんなこと考えると逃げ道を失ってお先真っ暗です。

 

この不安、緊張を生み出してるのは自分の思考です。

自分の考え方次第で上手に付き合っていけます。ただ裏を返すと、

上手く付き合えないと、逃げ道も助けもないということです。

自分の思考、他の誰かが瞬時に助けてくれるものじゃないんです。

時間をかけて自分で自分を救えるようになるんです。

 

命を絶つという現実が存在するといいました。

自分の思考は、自分にしか救えない、人は私の思考を助けられない。

一度その事実にたどり着いたとき、

じゃあもし私がパニックに陥ってて、

自分で自分の思考を救ってあげられない局面が来た時、

逃げ道は命を絶つことだけなんじゃないか、

そう思ってぞくっとしました。

 

これだけ向き合ってきたから、逃げる方法はわかっているつもりです。

でもそれだけ自分を支配する思考は怖い。

向き合い続けてる今も、自分で自分の命は絶たないとは言い切れない。

コントロールの効かない思考を一度味わってしまったから。

簡単な相手ではないことを知っています。

 

でも向き合えるようになった。

思考にのまれない努力をするようになった。

逃げ道を作ってあげられるようになった。

大事なのはこっちです。

HSPな自分とひた向きにこつこつ向き合って行きます。

 

皆さんも、不安な気持ちを無視しないで。

 

Rea🐈🍷