gluewineのブログ

HSPなReaです🐈🍷身も心も温まるシナモンが入ったあったかいGlue Wein🍷でほっこりブログ

罪悪感を手放していく

こんにちは。

 

今日も今日とて、心と向き合っています。

前回のブログで、感情をリリースして泣いて、とてもすっきりしました。

そして、ここ2週間くらいずっと読んでいた本があるのですが、

正直ずっとこれが今の私に必要な内容なのかはわからないなと思ってました。

今気持ちがすっきりしてやっと、

これは私に必要な情報だったと思えます。

その本の内容は罪悪感を手放す方法です。

 

罪悪感というのは人知れず生まれる感情です。

例えば寝坊したとします。どう感じますか?

ヤバイ!怒られる!いい大人なのに!会議があるのに!

出社して謝罪して、許してもらってもなんだかもやもやしませんか?

結局会議出れなかったな。遅刻して信用を失ったかな。

これは罪悪感から来るものです。

例え人があなたを許しても、あなたがあなたを許していない。

それが罪悪感だそうです。

うむ・・確かにと思いました。

 

そして、新しい自分になる時、何か新しい事に挑戦する時、

必ずこの罪悪感が大きな壁となってやってくる。

新し試みにこれでいいのだろうか、という反発の感情が生まれるからです。

私は数か月前に新しい自分になった感覚がありました。

自分と向き合い続けて、新しい思考を手に入れた感覚がありました。

ただ更にもう一歩踏み込んで自分を自由の表現していくと決めた時、

この罪悪感に苦しめられたのだなと思いました。

そして軽い鬱症状まで出てしまった。

 

私は自分の意見を言う事に慣れていません。

それは前回のブログで書いたように、私の意見はいつも拒絶されたから。

意見は言わない方が幸せだった。

人を怒らせなくて済む。怒られなくて済む。嫌われなくて済む。

なので自分を表現していくことで、自分の思いを伝えるようになると、

その都度、言ってよかったんだろうか、嫌な気持ちにさせてないだろうか、

まだ私を好きでいてくれるだろうか、こういう気持ちが生まれる。

これは意見を言う自分を許していいのか、戸惑っている、

また意見を言った自分を許してない、責めている状態。

この罪悪感や自分を責める根本には、

私が生きて来た中で植え付けられた概念、ルールがあります。

 

人に嫌なことをしてはいけない、言ってはいけない

自分の話ばかりしてはいけない。

自分の思い通りにしようとしてはいけない。

嫌なこともやらなければいけない。

 

こんな私の中のルールが、意見を言った後の罪悪感を生んでいるんです。

このルールを破った自分を責めている。

そのせいで人もあなたを責めていると感じて、その人を逆に責めたい気持ちになる。

誰もあなたを責めてないのに、自分が自分を責めてるせいで、

人を怖いと感じる。悲しいですよね。

でもこのルールって法律じゃないんです。

このルールって人それぞれ違うんです。

あなたの周りにも、言いたいことを好き放題言う人はいますよね。

好かれてる嫌われるは置いといて、その人は気持ちよさそうです。

なぜならその人は、私の持っているようなルールを持ってないから。

つまりこのルールは変更可能なんです。

一度正反対のルールを唱えてみます。

 

人に嫌なことをしていい、言っていい。

自分の話ばかりしていい。

自分の思い通りにしようとしていい。

嫌なことはやらなくていい。

 

どうでしょう。突然世界が広がる感じがありませんかね。

だって実際にこういうルールを持っている人達はいるわけです。

自分で決めた自分のルールなら、自分を幸せにするものに変えていきたい。

 

なので今は、人を責めてる時、自分の中でもやっとするものがある時は、

一度立ち止まって、じっくり自分と会話して、自分のルールを見つけます。

例えば今日はManagerに質問をされて、回答をしたのですが、

Managerは業務をしていないせいかいまいち掴めなかったようで、

一回のやり取りで終わりそうなところ、10回くらい説明したんですね。

私はもやもやして、Managerへのいら立ちを感じました。

それと同時に、上手く説明が出来てないんだろうか、

わかりにくい私をManagerは責めてる気がする、と自分を責めてました。

なので、やり取りが終わった後に、時間を取って自分と話しました。

イライラしたんだね、イライラするよ、していいよとまずは自分を肯定して。

どんなルールが今あったのか考えました。

Managerは業務をわかっているべきだ。

人に甘えてはいけない。

一度で理解しなければいけない。

自分の頼み事で人の時間を奪ってはいけない。

説明はわかりやすくなければいけない。

人には親切にしなければいけない。

こんなことでイライラしてはいけない。

ざっとすぐにこれくらい浮かびました。

これを真逆に置き換えてみましょう。

Managerだからといってわからない業務があってもいい。

人に甘えていい。

一度で理解しないくていい。

自分の頼み事で人の時間を奪っていい。

説明がわかりにくくてもいい。

人には親切に出来ない時があってもいい。

小さなことでイライラしていい。

 

こう考えられたらどんなに心が自由になるでしょうね。

そんな自由な心を目標に、着実に進みたいと思います。

まずは自分のルールに気付いて、変更していく。

そうすることで、自分を許し、人を許せるようになる。

人を責めたり否定するのも、人を自分のルールに当てはめてるから。

私のManagerは私のルールでは裁かれてしまったけど、

別の人のルールでは裁かれる対象じゃない。

私は私を人を幸せにするルールに変えていく。

 

Rea🐈🍷

常に自分を罰してしまう心

こんにちは。

 

今週はお休みを貰ってじっくり心と向き合おうかなと思ったのですが、

以前の鬱とはやはり様子が違うようで、

じっくり本を読んで、という感じにはなりませんでした。

やはり同じことって言うのは二度と起こるものじゃないですよね。

鬱、だとしても、前回と今回では違う。そういうものですよね。

 

自分の心の声を聞こうとするのですが、しこりが心からなくならない

と以前のブログで書いたかと思うのですが、それは変わりません。

このしこりがトリガーとなり、怒りや恐怖、緊張、不安などが

突発的にパニック状態として生み出されます。

 

色々と私の中でキーワードになる、この言葉、この状況で、

不意に涙が出てしまうというのが見つかりました。それは、

私は自分の思いを伝える時に泣いてしまいます。

今日は素直な私の感情をリリースしてあげるためにも、

ありのままの気持ちを書いてみますね。

ブログだからこういう表現はさけようかなっていうのも、

自分へ制限を掛ける事になるので、素直に表現してみます。

 

話は戻って、私の思いを伝える時に泣いてしまうという事。

今のように若干の鬱状態にない時は大丈夫なのですが、

こういう自分の心のコンディションにおいて、

私はこうしたかった、私はこう思ったと伝える時に泣いてしまうんです。

 

そしてふと思い出したことがありました。

小さい頃に、こうしたい、ああしたいと親に伝える時に泣く癖があったんです。

泣かなくてもわかるわよ!泣かないで言いなさい!と怒鳴られてました。

あの頃はなんで泣いちゃうのか自分でもわかりませんでした。

でも思い当たるのは、日常的に、親は私をわがままな末っ子と認識付け、

常にNOを私に突き付けてきたという事。

なので私は、自分の意見、思いはいつも拒絶、否定されるとわかってました。

そしてそれは自分を否定されている、自分の存在を受け入れてもらえてない事に

通じてしまうから、また存在を否定されることを思って、

自分の思いを伝えるたびに泣けてしまったんだと、今ならわかります。

私の思いを願いをただ聞いてほしかった。

叶えられなくてもいいから、ただそうだねって言ってほしかった。

私は受け入れられているんだと教えてほしかった。

 

きっとわかってもらえないだろうな、きっとこうしてもらえないだろうな、

きっと思いは伝わらないだろうな、私という存在は受け入れてもらえないだろうな、

そんな気持ちが、しゃべるだけで泣けてくるあの幼少期だったんだろうな。

私の思いはわかってもらえない。

私の思いは受け入れてもらえない。

そういう概念が私の中にはあるようです。

 

私の家族は一見とても幸せそうに見える典型的な家族です。

誰も私がこんな思いを持ってるとは思わないでしょう。

親を責めるつもりはありません。

親も人間で、完璧な存在ではないですし、

大人になると両親の人として弱いところが見えますから、

ああするしかなかったんだろうと理解できます。

そして私の存在を認めないつもりでやったわけじゃない事もわかります。

きっと親も、またその親から同じような苦しみを味わっているのだろうとも思います。

ただ理解と、私の心の問題は別の話ですね。

心の問題は事実存在してしまってますから。

 

そしてもう一つ、ごめんなさい、という言葉。

ごめんなさい、と試しに言ってみたら、泣けちゃったんですね。

親に受け入れてもらえた実感がないから、

常に自分が悪い事をしている意識にさいなまれているようです。

ありのままの私を親は受け入れませんでした。

親が納得いく人間に自分を閉じ込めました。

失敗しちゃいけない、こういう時はこうしなきゃいけない。

親のマニュアルを頭に叩き込んで生きていました。

今日は失敗しなかったか、毎日頭の中で復習しました。

目指すべき殻の中の人間になれるように。

なので、何かうまくいかない時、何か悪い事が起こった時は

必ず自分のせいだと思いましたし、それが事実だと疑いませんでした。

だって私が悪い子で、私がマニュアル通りに発言、行動すれば

いい事しか起こらないはずだから。

確かに私は世の中に受け入れられました。でもそれと同時に、

ありのままでは私は受け入れられないという方程式も出来上がりました。

ありのままで受け入れられるのか、それを知るすべはもうないと思いました。

だってもう私は、殻の中の私で何十年と生きてきてしまったから。

きっと私は罪なき罪を背負って生きているんですよね。

だからごめんなさいというと泣けてしまう。

悪い子でごめんなさい。

きっと私が悪い事をしたんだ、ごめんなさい。

何が悪かったかわからないの、ごめんなさい。

だから私が悪い事したなら直すから、どうか教えてほしい。

私に嫌なところあったら教えてね、ってそういえば学生時代友達に言ってました。

今思うと、本当に可哀そうな小さなReaちゃんです。

ありのままで本当はよかったのに。

 

嫌なところなんてないといけないのに。

悪い事もしながら育たなきゃいけないのに。

罪を犯して、でもそれでも愛されることを知りながら育たなきゃだったのに。

嫌なところ、悪い事、全部許されずに、

自分は悪いものの塊のように思って生きてきてしまったね。

 

今の私の心にあるしこりはきっと、これですよね。

自分を凶悪犯のように常に罰している。

そして今こうやって鬱みたいな症状が出てしまっている自分を罰してる。

ちゃんと心と向き合ってこなかったんじゃないの?

また人に嫌な事言ったり、嫌な態度取ってるんじゃないの?

鬱だからって人に甘えてるんじゃないの?

人に迷惑かけてるんじゃないの?

鬱になる人間なんてしょうもない。弱っちくて、頼りない。

怖い怖い、って馬鹿みたいに怯えちゃって、みっともない。恥さらし。

生まれてこなきゃよかった。人にばっかり迷惑かけて。

こんな暴言を自分にいつも吐いている。

自分に優しくなりたい。人に愛情を注げるのに、自分に注げない。

 

Reaへ。

産まれて来てくれてありがとう。生きてくれてるだけでいいよ。

あなたが悪い子だった時なんて一度もなかった。

あなたがいなくなってほしいなんて思った事一度もなかった。

お転婆で、いたずらっ子で、天真爛漫なあなたはそのままで愛されていた。

意地悪だとしても、人に嫌なことをしたとしても、あなたは愛されていた。

何をしようとあなたの価値は変わらない。愛され続ける事は変わらない。

例えどんな罪を犯したとしても、あなたはこの世でたった一つの宝物。

だから自分の発言、行動を恐れないで。

あなたは悪い子なんかじゃない。

小さい頃からとびっきりのいい子だった。オンリーワンだった。

あなたの発言や行動は意地悪なんかじゃない、いつだって愛に溢れてる。

だからどうか恐れないで。

恐れより、あなたの中にある溢れる愛を選んで。

 

Rea🐈🍷

怒られる、否定されることへの恐怖心

こんにちは。

 

最近も心と向き合いながら慌ただしい毎日を送っています。

そんな今日は一つ、私の心に眠る大きな事実を一つ見つけました。

解決には程遠いですか、見つかっただけでも大したもの。

見つけたら、向き合っていくことが出来ますからね。

 

ではそれが何なのか、というと。

人から怒られる、責められる、否定されることへの恐怖です。

この恐怖、という感覚は、普通の怖いという感覚とは違います。

誰でも怒られたり、責められたくはないですよね。

不愉快だし、やっぱり落ち込みます。

でも私の感じる恐怖はその程度のものじゃなくて、

本当に耳をふさぎたくなるぐらい、お願い、もうやめてという

私の心の悲痛な叫び、恐怖です。

 

今日とある手続きの中で、ふと、これ連携しといた方がよかったかな?

そんな風に思う事があったんですね。

私はHSPなので、あまりにもことを大きく捉えすぎる傾向があります。

なのでその瞬間大パニック。まずい、これはもう終わりだ!

心が強張って体が冷たくなっていくのを感じるくらい、パニック。

この反応はまずいぞと気付いたので、

出来るだけ冷静になって、事実をなぞろうと改めました。

連携はしていない。それだけです。

私の人生が終わる事ではないんです。

 

多少落ち着いたとこで、なぜあんなにも異常にパニックになるのか、考えました。

万が一連携しなかったことで、その手続きが例えばキャンセルになったとして、

キャンセル料を払えば終わりです。

その点については私にとってはさほど重大な事ではありません。

キャンセル料は勿体ないですが、パニックの私は人生終わりレベルに焦ってるので、

お金で解決できるなら、ほっとするんです。

では何が私にとってパニックの原因なのか。それが、

連携しなかったことを責められること、なんですね。

 

パニック中私は十分に私を責めていました。

もっと早く連携しとけばよかった。

その中で恐怖に似た感情を感じてました。なんだろうと思いました。

人に怒られる恐怖。

お願いだからもう言わないで、責めないで、わかってる

私が悪かったってわかったから、もう言わないで。

もう私をこれ以上否定しないで、生きてる価値がないって言わないで、

もうわかった、ちゃんとわかってるから、

誰もそれをもうどうか言葉にしないで。

皆に責められなくていいように、ちゃんと自分で自分を責めてるから。

どうかわかって。そんな感じ。

皆は私に生きてる価値がないとは言っていません。

でも怒られる、否定されるのは私にとってはそういう意味なんですね。

 

すっかり忘れてましたが、私小さい頃両親に怒られすぎて、

どうしていつもそんなに怒ってるの、もう怒らないで、

っていつも泣いていたことを思い出しました。

親は、それがあんたが言う事聞かない悪い子だからでしょって言ってました。

もう怒らないで、っていう叫びが今手に取るようにわかります。

親も当時若かったので、必死だったそうです。

ただ叱る方法が、私の人格否定に近い方法になってしまっていたために、

その物事について怒られてるんじゃなくて、

もう私の自尊心とか、私への愛とか、存在価値とか、

存在する意味とかそういうのを全部親が否定している。と感じてた。

私が私でいると怒られる。

でもそれが、この年になっても尾を引いてるとは思いませんでした。

 

特に私の今のように現実が慌ただしく進んでいる時は

心に余裕がなくなってしまうので、そういう慣れ親しんだ思考に

傾倒してしまいがちなんでしょうね。

 

まだまだ解決策は見い出せていませんが、

やはりまずは事実と妄想に分けて、

妄想からくる悲観的な感情を生理現象だと眺める事からですね。

私の妄想、勘違いなんだって。

それでも一度否定された、そう思ってしまった心はとても痛くて辛かったので、

その後たっぷりお昼寝でもして休みましょう。

心は事実と妄想の区別はつかないので、

妄想であろうとしっかり苦しんでしまっている。すぐには復活出来ません。

勿論ゆくゆく、過去の体験で悲しんでいる心を癒していきたいですが、

それは、より一層時間のかかる事です。

まずは今、このパニックにどう対応するのか、というのも、

時間をかけて心を癒していくのとは別に、必要な知識かなと思います。

あとはどんどん感情を開放していくことも大事ですね。

私は久しぶりに大泣きして、落ち着きを取り戻しました。

溜まった感情は解放していけばその効力が弱まります。

怒ってる時も、一人の時に怒りを爆発してみると、

意外と最後は泣いてたりします。

怒りの本当の感情は悲しみだったりもするのです。 

 

心を鎮めて、冷静に。

そんなことが今の私にはとても重要に思います。

鎮めるためにも、まずは感情を開放していく。

今日は本当にただの日記になってしまいました。

私のように不安や恐怖と言った心の衝動に苦しんでいる方がおられましたら、

ここに仲間がいる事、一緒にがんばっているよという私からのメッセージを

受け取っていただけたら幸いです。

一歩ずつ安心に近づきましょう。

 

Rea🐈🍷

     

非繊細さんには繊細さんの持つ感覚がない

こんにちは。

 

今日も今日とて心と向き合っています。

ゆっくり動く。これは私には絶大の効果を感じます。

仕事でちょっと焦った時も、それに気付いてあえてゆっくり動く。

あえて一つひとつ丁寧にクリック、Save、コピペなどをすると、

心が整うとともに、仕事もミスがありません。

焦った時こそ、ゆっくりゆっくりゆーっくり。

 

数日前に読んだHSPの本で、

非繊細さんには繊細さんの持つ感覚がわからないことがある。

それゆえに、理解されてないとか、どうしてこんなことも伝わらないのとか、

そういう感情を繊細さんは抱くことがある。と書いてありました。

なんとなく仕事で、思い当たる節がありました。

私は海外の方たちと働いてるので、文化の違いだろう、とひとまとめにしてましたが、

確かにそうとも言い切れないかな、と。

 

例えば、仕事に関する何気ない会話で、どう対応しようかという話になった時、

私は自然と過去の似たような事象を思い出し、その時の対応と、

その対応で良かったこと、悪かったことを無意識に分析し、

それを踏まえて、こうしたらいいんじゃないかな、と発言します。

ですが皆は、これでいいんじゃない?と全く別の方向から案が来るんですね。

私の中では、いや、その方法は前回没になったじゃん、だからこう言ってるんだよ、

って思うんですけど、皆は割と、今起こったことを新しい気持ちで、

ある意味、また一から始めてるんですよね。

なので似たようなやり取りが再度繰り広げられ、

皆が納得しながら結果的に私が言ったところにたどり着くのを待ったりします。

 

最初のうちはすごくもどかしくて、無駄な時間だなって否定的に思ってました。

なんでこれだけで伝わらないの?

なんで全部細かく言わないとわからないの?

今でも、やっぱりもどかしい気持ちはあります。

私の頭の中の記憶、分析を皆が言葉に出して一つ一つたどるのを見て、

言わなくてもそんな事わかって。時間かける事じゃないでしょ。

だからこう言ってるじゃんって思っちゃいます。

でもきっと皆は、私のように瞬時にそこへ意識を飛ばし、

その時の状況から分析を踏まえ、今への回答を導き出す。

という感覚がないんだろうなって思いました。

勿論皆も考察してないわけではありません。わかりやすく言うと、

Aという事象から50の事をイメージする私と、

Aという事象から10の事をイメージする皆。そんな感じ。

私はその40個のギャップにやきもきするんですね。どうしてって。

でも皆には、その感覚がないだけなんです。

 

 

そんな彼女たちを見ると、私より脳の使い方はシンプルなんだろうなと思います。

彼女たちは今、を生きている。

私は過去、今、未来が複雑に交差している世界を生きてる。

そんな風に思いました。

 

また別の例ですが、仕事で休みの人が多い時は、

カバー業務が増えて皆ひとりひとり忙しい状態になります。

カバー業務とその割り振りがボスから送られてきた時に私は、

きっとこの子は午後かつかつになるぞ、とか、

今日はLondonが祝日でこの業務が少ないからこの子は手が空くぞ、とか

そういうのを分析して、皆それぞれの一日の流れが頭の中に浮かぶんですね。

でも同僚の反応を見ていると、皆とりあえず仕事をこなして、

就業時間前になって、終わらない!私空いてる!って騒ぎだしがちです。

カバー業務の割り振りを見て、そこまでを観測してないってことですよね。

そうか、私だけなんだって思いました。

そして先立って、業務始まる前から助けちゃったりするんですよね。

でも本人は自分が後々苦しむことを観測してないから、

何故かReaが業務持ってってくれた、なんでだろうとしか思われず、

感謝もされたり、されなかったり。w

でもそれは皆は私程、観測してない、この感覚がない、からだったんですね。

 

HSPはこうなるだろうという分析が得意だからこそ、

事前に対策が打てるのもありますが、それだけ不安と心配事も抱えます。

同じ状況を目の前にして、私だけすごい心配してる、なんてことがあるんです。

周りが同じ未来を観測、分析していないと、私の意見が上手くなじまないんですね。

なんだ?どういうことだ?ってなるんです。

HSPは5人に1人です。

やっぱり多少浮いた感覚を味わったことがある人は多いと思います。

なので私は今回、皆にはその感覚がない、という事を知って、

例えば未来を観測して1人先回りしている時は、

皆に頼まれるまでは皆を信じてまかせよう。皆と同じ位置に戻ろう。とか

こうなったら大変だと心配してしまう時も、

皆は心配してないってことはきっとそうならないんだろう、

出来る事だけやっとこう。とか

そんな風に、非繊細さんの感覚に寄り添ってみる。

繊細な感覚がある人は、ないマネを出来でも、

ない人が、あるマネをするのは難しいと思います。

非繊細さんの”ない感覚”をHSPの私なら分析できる。

 

それに非繊細さんは良い物差しにもなります。

 

HSPはたまに異常に心配や不安を自らけしかけ、パニックになることもあります。

でもそこで一回落ち着ていて、周りの非繊細さんを観察してみる。

そうすると、ああ、大丈夫らしいぞ。

私の敏感センサーが暴走しただけのようだ、そんな風にも思えてきます。

 

非繊細さんには繊細さんの持つ感覚がない。

結構衝撃的事実だと思いました。

なんだか上手く伝わってないなと思った時、思い出してみてください。

ああ、そっかそもそもわからないんだって思うと、

わかってほしい気持ちが落ち着いて、優しい気持ちになれますよ。

 

Rea🐈🍷

心の焦りを解消するための、2倍遅生活

こんにちは。

 

今日と昨日は久しぶりに気持ちよく晴れていて、

ふっと心の力も抜けますね。

 

毎日心の声を聞いているのですが、

不安、緊張、怒り、疲労、安心、とかそういうのは良く聞こえます。

なのでそのたびに立ち止まって、その感情の原因を探って、

感情を認めてあげています。

体の反応は私を危険から守るために反応しているので、悪いものではないです。

そういう自分も丸ごと認めて、愛する。

 

ただ一つ、なぜか全然解消されない感情がずっと心にあります。

それが、焦り。

心が何かキューっと縮こまって、圧が掛かってる感じがずっとあるんですね。

これは何かな?怒り?不安?と自分に聞いてみました。

焦り、が一番しっくりくるようです。

何かに焦ってつぶされそうになっている心。

これを解消できないかと思い、自分と会話したり、

いろんな本を読んでみてるのですが、なんだかずっと居座っていて。

この焦りというしこりを発端に、怒り、緊張が生まれているのがわかるので、

このしこりを外せると、

多分私のここ最近の異常な敏感さは収まるのではと思っています。

 

HSPは広い視野で観測し、今後起こりうるものの可能性、リスクを見るのが得意です。

でもその分、あれもしよう、これもしよう、そうしたらこれもしておけば完璧だ、

そんな風に準備をすることで、今の自分がいっぱいいっぱいになるんですね。

未来で起こりうるものは数えきれませんよね。未来を描くのは限りがない。

でも実際に起こる未来は一つだけなんです。

何千と想像できるたった一つしか、未来では起こらないんです。

でもHSPである私は可能な限り想像できるリスクを全部つぶすため、

準備を怠らない、自分で気付いて止まらない限り、怠ることが出来ないんです。

その結果、胸がつぶされそうになってるんだと思います。

未来のリスクをみて、対策をして、対策に対するリスクをみて、

また対策して、出来るだけ完璧な道筋を立てる。

そして未来への道筋を立てている今、未来のために動いている今が、

息苦しくなっている事に気付かない。

 

日々の積み重ねで、心に焦りという圧を掛ける癖がついていたのかなと思っています。

あれしなきゃ、これしなきゃ、

そんな風に気付かないうちに長い間自分に鞭打って、

心に圧をかけて、力を抜かずにやって来ちゃった。

だから心が力の抜き方を忘れちゃったのかな。

 

なので、数日前から、ゆっくり動くというのを実践しています。

いつもの2倍かけて動くイメージです。

実際にはもうちょっと早いと思いますが、気持ちは2倍遅です。

ベットから出る時もゆっくり。リビングに行くのもゆっくり。

水を飲むのもゆっくり。椅子に座るのもゆっくり。

そんな風にしてゆっくりでいいんだよと体に教えてあげる感じです。

これをやるといかに自分が日々急いでるか、焦っているかに気付きます。

遅い自分にいらだつんですよね。

それでいいんです。それだけ焦っているという事を実感してください。

そして焦らなくていい事を知って、2倍遅を続けましょう。

車を運転していても、焦ってる時って、抜かされると余計焦るんですよね。

でもゆっくりって決めたからには、焦らないんです。

ゆっくり行くと決めたのは私だから。

それにゆっくり動いていると、その間にじゃあ次はこれをしよう、

と考える余裕が出来て、逆に無駄な動きが減るような感じもあります。

例えばあれこれ急いで動いていると、あ、あれも持ってくればよかった、

あ、これをやってるところだった。

そんな風に先を急いで、今したかったことを忘れる事ってあると思います。

でもゆっくり動いていると、これが終わったら、次はこれをしよう、

そんな風に整理しながら動ける感じがありますね。

 

明日は月曜日、お仕事です。

ゆっくりをモットーに、明日は残業を自分に許し、2倍遅で働こうと思います。

でも私はわかってるんです。

2倍遅で働いても、普段と終わる時間はほぼ変わらない事。

忙しくて焦ってる時って、ただ焦ってるだけで、別に動きがめちゃ早いとか、

効率がめちゃいいわけじゃないんですよね。

焦ろうと、2倍遅でやろうと、さほど大佐ないんです。

だったら穏やかな心で働いて方が、人生お得ですよね。

 

心にある焦りというしこり。

このしこりを溶かすために、体から働きかけてゆっくりでいい事を教えてあげる。

2倍遅生活。

ぜひやってみてください。

 

Rea🐈🍷

HSPが自分を表現していく

こんにちは。

 

ヨーロッパはずっとお天気の悪い日が続いていて、心がどんよりしますね。

毎日毎日心と向き合っています。

 

実は最近はとても敏感になってしまい、緊張、怒りがぶわっと湧いて、

心をギューーっと締め付けています。

知らぬ間に自分に鞭を打ってきた証拠です。

このまま放っておくと、また手に負えない鬱状態に入ると察知したので、

数日のお休みと、その後は時短で働かせていただいています。

 

今思うと、本当に恵まれている環境に身を置かせてもらってます。

親身に私の体調を心配し、個人的に会社的に全面サポートをしてくれる、

上司であり、母親のようなボスたち。

私が日本語でカウンセリング出来るように日本人のカウンセラーがいないか

探してくれたり、会社として、日本とのオンラインカウンセリングを

サポート出来ないか人事と相談してくれたりしているようです。

心苦しいような気もしてしまいますが、

ボスはそんな感情を私から求めてないので、有難いとだけ思うようにします。

 

私の心が乱れ始めたのは、ちょっときっかけがあったのがわかっていて、

それは自分を表現する、もっともっと伝えたいことを自由に伝えていこう、

そう意気込んでからちょっとバランスを崩した感じがありました。

それと同時に公私ともに色んな変化があり、対応出来なかった。

心がついていけなかった。

そんな感じじゃないかなと自己分析しています。

 

そして時短で時間を貰っている今、改めて沢山の本を読みなおし、

新しい本を読み、もしやと気付くことがありました。

それは、HSPであるという自分をいつからか置いてけぼりにしたという事。

心と上手く向き合うことが出来て、調子のよかった時期に、

いつの間に私は自分が普通の人、非繊細さんであるかのように錯覚し、

とてもアクティブに行動し、それを存分に楽しめていました(と思ってました)。

それにより、よしもっと自分を表現できるぞ!そう意気込んだものの、

そこで、繊細さんと非繊細さんの違い、壁に直面し、

歯車が嚙み合わなくなったのかなと、感じました。

 

HSPである私は、人より、何より、いかに自分が心地よい状態で居られるかが

肝なんです。HSPである自分が、HSPのまま、いかに心地よいか、です。

非繊細さんのように鈍感力をつけようとか、

コミュニケーション能力をつけようとか、そういう事じゃなくて、

繊細なまま、どういう対処をするか、どういう言い方をするか、

どういう環境に身を置くか、自分の心地よい環境を選んでいく。

繊細な自分を変えなくていい。むしろ変えられないと思った方がいい。

HSPは性格じゃなくて、気質ですから。

気付く、感じる力はそのままに、その上で自分が心地よくいられる方法を模索する。

 

自分を表現する、意見を伝える時に、非繊細さんのまねをして

ドスレートに伝えてみたとします。

HSPな私は、自分の言葉で人が嫌な思いをしていないかが気になるわけです。

それでいいんです。それがHSP。気にならなくなることなんて、ないんです。

だから、自分のために、意見を言う時もやわらかい表現を選ぶんです。

人が怒らないように、人が嫌な思いしないようにじゃなくて、

HSPである自分が、自分の発言のその後に気を揉まないために、

やわらかい表現を選ぶんです。

 

これって、自分軸と他人軸を見極めるのが難しいところだと思います。

結果的に、やわらかい表現をした事に変わりはありません。

心と向き合えていないHSPさんであれば、

人が怖い、人の顔色をうかがう、人の感情に振り回される、

という他人軸の結果、やわらかい表現を選ぶかもしれません。

自分の心の声が聞こえてるHSPさんであれば、

人に嫌な思いさせない、それが自分の安らぎになる、

とわかっているから、やわらかい表現をするという自分軸になります。

どっちのモチベーションで結果という行動を起こすかによって

幸福度、充実度、安心感とかって変わるんでしょうね。

 

私はいつしか非繊細さんであるかのように錯覚してしまったので、

思ったことをスレートに伝える練習をしていました。

その結果、私は心のバランスを崩しました。

表現の仕方を間違えたんだなあと、やっと今日気付くことが出来ました。

どんなに調子がいい時も、HSPである事は変わらない。

心の声を聞き続けること、HSPである自分のために発言、行動を選ぶこと。

肝に銘じたいと思います。

 

楽しい時って忘れちゃうんですよね。

空だって飛べる気がして無理しちゃうんです。

 

私はペンギン。

鳥類という世界では、飛べないという点で劣等生に見えるけれど、

飛ばないという選択をした種である、というだけのこと。

生き残っていく中でそういう進化をしただけ。

他の鳥とは違う方法で生き残っただけ。

だから空を飛ぶ必要はない。

海を泳ぐ。

 

HSPの皆さん、一緒に海を泳ぎましょう。

 

Rea🐈🍷

事実だけを見れる力はとても万能

こんにちは。

 

昨日は仕事で1年ぶりの仕事をやって、全然思うように進まなくて、

何時間これに費やしてるんだってくらい進まなくて、残業して、

心が穏やかではありませんでした。

どんなに心と向き合っていていも、

心の疲労が回復していなければ、エネルギーが十分でなければ、

思うように心とも向き合えません。

 

心が穏やかじゃない、暴走して手が付けられない、

そういう時は思い切ってお休みをとって、とことんリラックスする。

好きなお香を焚いて、優しい音楽を聴いて、

優しい本を読んで、優しいものを食べて、沢山寝る。

2週間くらい前にパニックになった時は、上司に相談して

翌日から有休を2日取らせてほしい、週末とくっつけて4日で回復できるかも、

そんな風にお願いしたら、病欠でしょって言ってくれました。

気分が悪い、それは病気でしょって。泣けちゃいます。

 

そんな2週間前の事があって、昨日までは色んな事が仕事で発生しており、

休みたくとも休めない状況になってたので、踏ん張りつつバタバタ働いてました。

ただ、昨日の私の様子はちょっと危ういと思ったのと、

丁度今日は人が十分いるということで、お休みを貰いまたじっくり心を休ませました。

 

そして事実だけを見る、という事を思い出しました。

この事実だけを見る感覚って、ちょっと習得するまで難しいんですけど…

例えば昨日の仕事でのパニックでいうと、

システムが思うように動かなくて全部で20回くらい止まってしまい、

そのたびにやり直しをした結果4時間以上かかりました。

誰でもストレスで爆発しそうになる状況だとは思いますが、私の心境は

また止まった、信じられない何このシステム、使えない、

他の仕事が何もできない、何も進まない、また止まった、ふざけるな!

4時間ずっとこんな感じ。

この怒りの興奮状態って、自分の妄想から更に興奮を掻き立てちゃってるんですよね。

また止まった、このまたというのは過去に何回止まったかを妄想してる。

過去から今を線で生きてる状態。

過去から今を点で生きて、今目の前の事実だけを見ると、

システムが止まった。以上なんですよね。

こういう風に考えられると、無駄に感情を掻き立てることなく、

冷静な判断、対応が取れます。

やけになって何度も何度も再スタートさせるんじゃなくて、

ITと連絡を取ろうとか、明日でも出来るだろうかとか、

他の仕事を同僚に頼めるだろうか、とか。

怒りで興奮してると、そういう事考えられなくなっちゃうんですよね。

 

今日はそういうことを意識しながら過ごしてみました。

洗濯物。畳んだものの、運ぶのを後回しにして

テーブルの上に置いたままにしてました。

とあるタイミングで、使いたいものがない事に気付き、

あ、洗濯物の中だ、あー面倒くさいって思いました。

妄想で反応したことに気付いて、事実に改めました。

洗濯物を片付ける。だけでした。

その後は本当洗濯物って面倒くさいという感情もなく、

淡々と片付ける事が出来ました。

 

上手く事実と妄想を分けられるか試してみようと思い、

Youtubeを見てみました。が、ちょっとまだYoutubeは早かったです。

心が弱ってる時は、うっとおしい人を見るとイライラしてしまうので、

サクッと電源を落としました。

エネルギーが十分ある時は人と自分の間に壁を作り、自分軸でいられるので、

こういう人もいる、と暖かい心でいられますが、

今は実験よりも、自分の心の回復が優先です。

 

そしてちょっとだけ事実と妄想を分ける感覚を思い出して、

それと関連して思い出したのが、未来を信じる力、なんですね。

どうして、これらが連動したのかなと考え見ました。

 

叶ってほしい未来がある時に、それと同時に湧くのが、

叶わなかった時の恐怖だと思うんです。

その恐怖を想うと、純粋に願いを願えなくて、

でも叶わないかもとか、いやまあ叶えばいいけど、そうでもないかもとか

そいういうねじ曲がった発想になる。

でもその恐怖を受けいれる、叶わない現実が来たとしても、私は大丈夫。

その安心感があると、ただただ素直に願いを願えるんですよね。

妄想と事実を分ける力には、この、願いが叶わない現実が来ても私は大丈夫、

に繋がる力があると思ったんです。

 

例えばどうしても欲しいジュエリーとか、腕時計があって、

でもそれは数量限定で早い者勝ち。

前日からそわそわして、朝早くから並んで、あと一つというところで売り切れた。

妄想と事実を割り切らないと、

どうして、あんなに欲しかったのに、こんなに早起きしたのに、

あの人なんて途中で友達が割り込んで来たじゃない、ひどい!

事実だけを見ると、

その商品はない。だけです。

 

ここで事実だけを見れる土台があるのは強いと思います。

それは安からな心を保てる、という意味で強いです。

私ならその後にもうちょっと心を温めてあげるために、

私にはご縁のなかった品だったんだ。

私にご縁のあるもっと素敵な品がいつか手に入るね。

そんな言葉をかけるだけでも、すぐに前を向けます。

それは事実だけをみるという土台があってこそです。

 

目の前で起こったことにいかに、妄想と感情で反応しないか。

事実だけをただ眺められるか。

そんな事も意識しながら、心と向き合いたいと思います。

 

心は心の意向に背く事ばかりしていると、このようにやさぐれてしまいます。

なので心とは常に会話をするといいです。

明日は頑張れば働けるけど、まだ心は完全回復していないなあという感じ。

ということで心と相談してみました。

働けそう?と聞いたらキュっとしてて、

休ませてもらおうか?と聞いたらふわっと力が抜けたのがわかりました。

今は何よりも心の回復優先ということで、

お休みさせていただこうと思います。

 

会社と同僚に心から感謝。

そして何より心と向き合っている自分に感謝。

 

Rea🐈🍷