gluewineのブログ

HSPなReaです🐈🍷身も心も温まるシナモンが入ったあったかいGlue Wein🍷でほっこりブログ

HSPの伏線と姉の愛

こんにちは

 

私は小さい頃から、気が小さいとか、怖がりとか、気にしいだと

思いこまされてきました。

小さい子供は、無意識な自分の体の反応に疑問を覚えたりしませんから、

その子の反応を見て、レッテルを張るのはいつだって大人です。

そしてそれがネガティブなニュアンスである事くらい

子供ながらにわかります。

だから私は人より気が小さいんだと思い込んできました。

普通の人より劣ってるんだ。

HSPなだけだ、と数十年後に気付くまで、そう思ってきました。

 

この思い込みは、今後の人生、私が私に鞭を打ち続ける理由になりました。

皆みたいに出来なきゃいけない。頑張らなきゃ。人並みになれるように。

普通に生きてるだけでは気が小さくて、怖がりなので、

いつだって自分に鞭うって気を張ってないと、

皆のような普通にはなれない。

 

この思い込みはどんどんこじれて私の対人関係を複雑にします。

気が弱いから舐められないようにしなきゃ。

皆に馬鹿にされないようにしなきゃ。

有名大学に入ろうと、大手企業に勤めようと、

人から劣っているという思い込みがなくなることはありませんでした。

むしろ本当に出来る人たちと生活を共にし、負けちゃいけない。

そんな気持ちが強まる一方でした。

 

そんな複雑な感情のまま大人になって社会人になった私は

私の頑張る思考とは裏腹に徐々に体に限界が来ます。

当時はHSPの存在を知りませんので、案の定

私が気にしいだからストレスに耐えられないんだって思ってました。

 

突発性難聴になりました。

1週間お休みをもらい、高い専門のお薬を処方してもらって、

まともに聞こえるようにはなりましたが、今も疲労がたまると耳鳴りがします。

1週間後からは、特に具体的な対策もなく、また自分に鞭を打ち続ける日々。

体の声に耳を傾けるという意識は当時まだありませんでした。

 

それから1,2年がたった頃、毎日蕁麻疹が出るようになりました。

何故か決まって、お昼を会社で食べた午後、

必ず目の周りがぶん殴られたように腫れ上がる現象が、

ほぼ毎日2,3か月続きました。

これは毎日ではないですが、今も定期的に腫れ上がります。

あまりにもひどい時は帰宅しましたが、

人が見たら眉を顰めるほど痛々しい、無残な顔で働き続けました。

 

脳や思考、心よりも先に体が、自分を否定し鞭を打ち続けている

私の生き方に悲鳴を上げたのでしょう。

その矢先、今私がいるこの国での仕事の話が舞い降りてきました。

ここを離れて自分と向き合いなさい。

きっと来るべくして来たこのタイミングだったんでしょう。

 

ご縁あってこの国に来て、HSPだと気付かされることがあり

さらにはばっちり、初めて鬱を経験させてもらい、

心と体を痛めつけて、一生懸命生きてきた人生のステージは一旦終わって

今は自分と向き合って、知って、受け入れていくステージに突入したのかな。

どのステージも簡単ではありません。

 

やっぱりまた鬱になりそうな自分にがっかりしちゃうんです。

また今年も鬱になるんだ私、って。

想定してたし、準備もしてたけど、やっぱりね。

ならないに越したことはないから。

でもね焦らずゆっくり、心の声聞いて、自分のために生きていけるように。

 

人に相談することがどれほど難しいかって痛感します。

HSPであることを私は伝えるようにしてると前回のブログに書きましたが、

どれほど深刻な状態なのか詳細にはいいません。言えません。

どこかで私はずっと元気で楽しい私のままでいたいんです。

そっちも本当の私だし、ずっとそっちの私でいたいんです。

私の容姿、雰囲気がは鬱やHSPの特徴とはかけ離れたものです。

誰も私が一度だって死がよぎったことがあるなんて思いもしません。

勿論私だって深刻にHSPの話なんて出来ません。

だって私はHSPです。

HSPが意図的に人に心配かけるような言いまわしをするわけないじゃない。

いつだって心に反して元気を装う、そういうもんです。

 

でも今年も鬱の気配がやってきて、少し動揺してるので、

満を持して姉に電話してみました。

姉には面白可笑しく全ての私の身に起きたことを伝えています。

もう泣きながらなんて伝えられないんですよ。

やっぱちょっとこんなことで悩んで恥ずかしいとか、

こんなに元気に振舞っておいて、本当は泣けちゃうほどつらいとかって

やっぱちょっと恥ずかしいです。

でも泣いてでも感情を聞いてもらえる相手が

HSPとしてこれから生きていく上で絶対必要だなって思って、

誰がいいかなって親友とか親とか上司とかいろんな人の顔を一周して

やっぱりお姉ちゃんになりました。

お姉ちゃんとは年子で、お互い多少ライバル視しながら切磋琢磨

生きてきたから、あんまり弱いところはあえて見せることはなかったけど

大人になるとやっぱり、お互い色々あるから支えあって生きている

そんな感じが数年前からありました。

 

泣こうと思って電話したわけじゃなくて、

今の気持ち、不安を聞いてほしかっただけなんだけど、

やっぱしゃべってると涙腺ゆるんじゃって。

これから来るであろう鬱が不安になって、

どうしようねもし私が死を選んだら、ってそんな不安を自分に問いかけてたら、

 

生きてくれてるだけでいい、

生きてくれてるだけで感謝してる人がここにいる事忘れないでね

 

ってお姉ちゃんが。彼女も照れ臭かったでしょうね。

私たちはべたべたな姉妹ではないですから。

おかげで涙腺はゆるゆるです。

そうだろうとは思ってても、やっぱり言葉にしてもらえるだけで救われます。

 

ありがとう、お姉ちゃん。

お姉ちゃんもね。

 

今日は沢山寝てリセットしようと思います。

 

Rea🐈🍷