gluewineのブログ

HSPなReaです🐈🍷身も心も温まるシナモンが入ったあったかいGlue Wein🍷でほっこりブログ

ディスカッションが苦手な日本人

こんにちは。

 

今日はディスカッションの在り方について、ふと考えました。

日本にいる時は特に苦手意識を持ってなかったのですが、

この国に来てから、なんとなく徐々に苦手意識を持ち始めました。

 

日本と欧州では明らかにディスカッションにおける文化が違います。

私が気付いた点は、意見の述べ方の違いと、

その人の意見とその人の人格を混同するかしないかの違いです。

 

日本は協調性を大事にする文化ですので、

Yes,Noをはっきり伝えない傾向にあります。

遠回しに相手を傷つけないよう、気分を害さないよう、

出来る限りやわらかいニュアンスで伝えてるように思います。

欧州は、事実は事実として、合っている、間違っているをはっきり伝え、

自分はこう思っている、賛成、反対であるを明確に、

誤解が生まれないよう伝えている、そんな印象です。

 

ここまでは一般的に知られている違いかなと思いますが、

日本人が知らず知らずにうちに、意見交換の中で行っている事があります。

 

それは、意見と人格を混同している、ということです。

とある議題において、賛成反対意見があるのは、立場が違うので当たり前です。

ただ、日本のYoutubeやバラエティー番組、

コメンテーターのコメント等を見ていると

相手の意見を否定する際に、その人の人格まで否定しています。例えば、

こんな風に考えるあなたはまだまだ未熟だ。

これは簡単に言えば議題のすり替えです。

本来の議題から、人格否定に移動していますよね。

それと同時に、反対意見を言われた、

つまり自分を否定されたという思い込みから、

自分が正しいと主張したい、そのために相手を否定してやろう、

そんな感情からくる人格否定だと思います。

 

でもこの掛け合いは日本では当たり前のように行われています。

なので会議で自分の意見を否定されると、あの人は嫌な人だな、

なんていう感情が残るのは、日本あるあるです。

 

欧州ではどうなるかというと、意見は意見、

その人の人格とは全く次元の違う話です。

どんなに会議中に反対意見で白熱しようと、意見を出し合って、

より良い答えを導いているだけです。

自分の正当性を主張したいのではありません。

彼らの目的はその議題に対して、より良い答えを導き出すことだけです。

なので会議後には何事もなく一緒にカフェに行き、

いいディスカッションが出来たね、そんなすっきりした関係です。

その人の意見を否定するのと、その人の人格を否定するのは

全くもって別次元の話です。

 

ただ、これは日本の文化でもあります。

言葉はその人となりを表す。そんな文化が根強いので、

どうしても混同してしまいます。

世界相手のディスカッションでは弱い立場だと思います。

意見を意見として述べてる人と、人格を背負って意見を述べる人、

必ず感情的になるし、議題から反れて、

自分の正当性を主張する必要が出てくるのも当たり前ですよね。

 

そして私もその一人です。

皆のはっきりした意見を聞いて、そんなに私を否定しないで、

そう思ってたんです。だからディスカッションが苦手になったんです。

でも皆は、私の意見に対して意見を言っているだけで、

私の人格を否定なんてしてないんです。

 

文化は体に根付いているので、そう簡単に割り切れるものではないです。

無理に強い意見を言うのも、自分のストレスになる事もあるので、

私は自分が意見を言う時のスタンスは、無理に変えようとはしてません。

やわらかい表現で私は伝えたいので、そこはそのままです。

ただ意見を受け取る時には少し意識して、気を付けるようにしてます。

これはただの意見、言葉を言葉のままに受け取るように注意します。

私と相手に間には見えない壁があって、言葉だけが私に届く、

そんなイメージです。

 

普段はこれが出来るんですけど、HSPが暴走中はやっぱり難しいんですよね。

頭で考えるより先に、瞬時に心が悲しい、と反応してしまいますから。

だからそういう時は心の休息時間をたくさん取って、

頭の中を整理させてあげる。

そうやって一つ一つ心の声を聴いて、乗り越えて行くしかないですよね。

 

この文章を読んで、もし私が日本を否定したと思われた方がいらっしゃったら、

意見と人格の混同を無意識に行っていると思います。

私は私の意見、考えを述べただけで、

意見と人格の混同することが悪いとは一切述べていません。

体に染みついた文化って根強いですよね。

 

Rea🐈🍷