天に委ねるとはこういうこと
こんにちは
昨日も今私を縛ってるものは何かなって考えてました。
自分の心とはいつも向き合ってます。
でも思考が異常に活発で邪魔をしてるんですね。
ピンとくる言葉、もやっと引っかかる言葉が今必要な言葉。
あれやこれやと調べてました。
そして見つけました。
天に委ねる。
私はこれをいつからかすっかり忘れて、必死に頑張ってました。
自分で世界を作ろう。自分で決めよう。
そして自分の手で望み通りの世界をつかみ取ろう。
そんな風に気を張って頑張っていたと思います。
でも本当は、私が作り上げるんじゃない、
私は私が願ったものに導かれるんです。
心と向き合う中で、
全ては起こるべくして起こってる、とか
人はコントロールできない、とか
起きたことに対する執着を手放すための言葉は掛けていました。
でもその真意を忘れていました。
だからどんなにこういう言葉を自分にかけても、
なんとなくすっきりしない。
なんで頑張らなくていいんだっけ?
全ては起こるべくして起こってる、だからなんなんだっけ?という感じ。
私の願いを天は知っている。
だから天に委ねる。頑張る必要はない。
私はただ自分の心と向き合って、自分の好きな自分でいればいい。
そして私が人間として頑張って作り上げるものと、
天が私に与えてくれるものを考えた時に、けた違いだろうなと思いました。
私がどんなに頑張っても、イメージで言うなら、
せいぜい都心の素敵なマンションに住めるくらいの幸せ。
でも天が私に与えてくれるものを素直に受け取れるなら、
それはきっと街が見渡せるステキな丘の上のお城くらいの幸せ。
だから人間の私がむしゃらに頑張らなくていい。
人間に出来る事なんて限られてる。
天に委ねて安心してればいいんですね。
委ねるという言葉にたどり着いた時、イメージが難しいなって思いました。
じゃあ私は何をどう委ねて、何を行動すればいいの?って。
そんな時、いつもYoutubeで見てる保護猫ちゃんたちを思い出しました。
すぐに人に懐く子、警戒して触らせてくれない子。
委ねるってことは、無条件に信じる事。
そこにいる人間を信じて、委ねる。
警戒心の低い猫ちゃんは、その人に身を委ねて、
抱っこされて、よしよしされて、その気持ちよさを味わえるし、
ブラッシングで綺麗にしてもらえる。おやつだって食べれる。
普段の生活も警戒心ゼロで、マイペースで好きなことをただ心から楽しんでる。
警戒心の強い猫ちゃんは、人の手を警戒して、
なでなでしてあげたくでも出来ない、ブラッシングも出来ない。
おやつも怖くて食べられない。
普段の生活も警戒して、遊ぶことに集中出来ない。
人間が愛をくれてるのに受け取れないし、愛を発信出来ない状態ですよね。
言葉が通じればわかってもらえるのに、じれったいですよね。
怖がらずに人間に身を委ねちゃえばいいのに
そしたら沢山幸せをあげられるのにって見てて思いますよね。
天も私にそう思ってるんじゃないかなって思ったんです。
直接的に伝えることは出来ないけど、
あなたの願いを叶えるためのメッセージ送ってるよって。
怖がらないで、委ねてくれさえすれば、愛を受け取ってさえくれれば、
あなたはもっともっと幸せになる、愛に溢れるんだよって。
天に委ねるという言葉にたどり着いて、
やっと本当に芯から力がじわじわ抜ける感じがありました。
知らぬ間に委ねる事をやめて、頑張って、力が入ってたんですね。
委ねるというベースがあってこそ、
全ては起こるべくして起こってる
ありのままの私でいい
どんな感情も肯定する
どんな私でもいい
こういう言葉たちがスッと心に響くようになりますね。
だって全ては天の計画通りだから。
私が委ねてる限り、それは計画通りなんです。
私が委ねてる限り、導いてくれるんです。
だからこそ、私は今だけを楽しめばいいし、今だけを生きればいい。
天に反して自分で道を切り開いて、頑張って何かを成し遂げようとするから、
未来に不安を抱いて過去を悔やむ必要が出てくるんですね。
皆さんも委ねる事のイメージが出来たのではないでしょうか?
警戒心の強い保護猫ちゃんになるのか、
警戒心の低い保護猫ちゃんになるのか、
それはあなたの選択です。
自分にとってはどっちが幸せそうに見えるか。
それだけのことなのです。
あるのかないのかわからない天に、委ねてみる。
それは私にとって、今を生きるための鍵。
Rea🐈🍷