gluewineのブログ

HSPなReaです🐈🍷身も心も温まるシナモンが入ったあったかいGlue Wein🍷でほっこりブログ

私たちは妄想を生きている

こんにちは。

 

最近は徐々に調子を取り戻しております。

ゆっくりですが、いい感じだぞと思えます。

勿論心の波、感情の起伏がなくなることはありません。

大事なのはその捉え方です。

どう捉えられるか、それが私の生きる世界を良くも悪くもするわけです。

 

思考は賢いですから、あなたの経験を元に、

あなたを守るため、いろんな思考、映像そして感情をあなたに見せています。

例えば私は、いじめの経験から、女の子が4人以上集まると苦手意識が湧きます。

私はここになじまない、どう反応していいかわからない、

苦手意識、過去の記憶、そこからくる思考やトラウマ、

全てあなたの思考が、あなたを守るために見せている。

 

2年前の私はこれを揺るがない事実だと思っていました。

私が見てる事、感じてる事、考えた事。

でもゆっくりゆっくり、もしかしたら違うのかもしれないと思うようになりました。

それにはかなりの時間が掛かりましたが、簡単に言うと、

私は今いじめられてないんです。それが事実。

どんなに思考が、4人以上は苦手、私はなじめないと思っても、

それでも私は今、いじめられてない。それが事実。

じゃ私は何に不安を抱き、怯えてるんでしょうね。

それは、記憶という思考が見せている、過去の映像に怯えてるんです。

女の子が4人集まって、楽しい時間を過ごすも、不安な時間を過ごすも

 

あなたの思考が、あなたに何を見せるかにかかってる。

 

もしあなたの感情が反応する時に、五感を元に反応するなら、それは事実。

だって五感は今現在のものしか感じる事が出来ないから。

もしあなたの思考を元に反応したのなら、それは事実ではありません。

思考はいつもあなたの記憶、憶測に基づいてる。

事実とは、実際に起こる、存在するもの。

どうしても自分の見てる世界が事実に思えるなら、この二つの事を知ってください。

 

1.見えてる世界は妄想と事実が常に混在してる。

例えば、上履きに画びょうが入ってたとしましょう。

この時の事実は、上履きに画びょうが入ってる、だけです。

そして思考は、誰かが意図的に入れた、いじめられてる。

そういうでしょう。それは妄想です。

誰かが入れるのを見たなら、事実。見てないなら妄想です。

どんなに事実に思える事も、ほとんどは妄想なんです。

勿論いじめであれば、それ以外の事実が根掘り葉掘り出てくるので、

きっとこの妄想は正しいという事になるでしょう。

でも見てる世界は事実と妄想の混在であると思ってください。

2.過去になった事実は妄想である。

過去になった事実は、記憶という妄想になります。

昨日食べた晩御飯をどれほど鮮明に思い出せるでしょうか。

そもそも何を食べたか思い出せるでしょうか。

食べたハンバーグの食感、香り、肉汁。

その時は鮮明だった事実も、過去になると記憶があいまいになります。

でも人はネガティブな経験こそ、鮮明に覚えていると勘違いしています。

いじめられた経験も、昨日の晩御飯も、本当のところはあいまいな記憶。

でもネガティブな経験は何度もあいまいな記憶を思い出して、

思い込んでるストーリを何度もなぞってるから、鮮明に思えるだけ。

 

 

 

この妄想自体、止める事は出来ません。

仏教の修行に成功したら、もしかしたらずっと無でいられるかもしれません。

なので大事なのは、心が反応した時に受け止め方を事実に沿って改める事です。

 

 

思考は自分自身だと思いますか?

私の感覚で言うと、暴れん坊な相棒ですね。

長年連れ添ってますから、自分自身と思っている人がほとんどだと思いますし、

私も2年前まで、そう思っていました。

でも思考はあなたではない。

産まれた時のあなたに不安、恐怖、憂鬱、面倒くさい、そんな感情はなかった。

あなたはただただ嬉しくて、幸せで、愛に溢れてたはずです。

それが本当の自分自身。

色んな事を経験する中で、あなたは自分を守る必要があった。

そして当時相棒はあなたを守るために必死に働いてくれた。

でも今のあなたにも、その相棒が作り上げた思考が必要でしょうか?

私は自分で自分を縛っているものを解きたいんです。

 

自分は妄想の中を生きている意識を持っていると、切り替える事が出来ます。

私は仕事中、常に緊張感や不安があります。

何もミスしてないし、何も問題は起こってないのに。

私の用心深さゆえ、平穏な時間を緊迫する時間に変えてしまってるんですね。

何か問題が起こっていて緊迫するのは正常ですが、

何も起こってないのに、起こるかもしれないと緊迫するのは、

ちょっと心配になっちゃいますよね。

例えば、素敵な森を散歩してるとして、

1人はその自然を存分に味わい、日光を感じて、鳥の声を聞いて、心が満たされる。

1人は出てくるかもしれない動物に怯えて、雨を心配して、緊張した時間になる。

同じ時を過ごしているのに、こんなに違うわけです。

前者は今目の前にある事実を見て、後者は思考が見せる妄想を見る。

 

妄想を生きている、という意味がちょっと分かりましたかね。

私は日々、無意識に不安な世界を生きてしまうので、

それに気付いたら、愛の世界に切り替えるようにしています。

私の不安な世界は、

ミスをしてないだろうか、

私のせいで問題は起こってないだろうか、

私の発言は正しかっただろうか、

私のことを皆どう思ってるだろうか

私の愛の世界は、

私はミスをしても愛されてる。

私のせいで問題が起こっても、私は愛されてる。

私は自由な発言をする権利がある、私は自分を表現する。

皆がどうであれ、私は皆を愛してる。そのことが大事。

 

こんな感じ。

もし悲しい不安な世界を生きているのであれば、

それは事実ではありません。

抜け出して、愛の世界に。

 

Rea🐈🍷