それでも私はあなたが好きだよ
こんにちは。
心をニュートラルに保ち、無感情をベースとしていた数か月前と、
感情を感じて、そんな自分を表現していくことを学んだここ数か月。
最近はこの2つをどう融合してくのか、
というのが私の学び、経験なのかなあと感じています。
結構対局にある二つの性質です。
無反応と、感受性。
ロジカルと、自分を表現すること。
ただ、感情を感じるのってやっぱり私は疲れますね。
ニュートラルの方が、私個人の人生が豊かになります。
感情というのは常に別の事柄と繋がっているので、モヤモヤすることが多いです。
また、感情というのはその世界へのリアリティーを強めます。
例えば映画を見てて、感情移入が強い人は、リアルに悲しんだり喜んだり、
映画の中の世界をありありと感じている。
それは映画だけじゃなくて、この世界でも同じことです。
目の前で起きた事にのめり込みすぎると、冷静な判断や対応に欠けますよね。
現実とは少し距離を取ると、心は穏やかでニュートラルになる。
そのためにも、無感情、反応しない心を学ぶのはいいと思います。
今日は改めて、反応しない心でいた感覚を思い出そうと
昔の日記を読んでいました。
その中でふと、気になった言葉を見つけたんですね。それが・・・
裏切られてもなお信じる。
裏切るかは相手の課題。
信じるかは私の課題。
課題の分離という考え方です。
相手の課題→私にはどうしようもないもの、手放すもの。
自分の課題→私が決めるもの、行動するもの。
相手の課題を誤って自分の課題として受け止めていると、
心はずっともやもやします。
私には解決する手段のない課題を抱えてるからです。
裏切られるかもしれないどうしよう、ざわざわ。
でもそれを私にはどうにもできない課題だと気付き手放し、
自分の課題、それでも私はその人を信じるのか、に集中するわけです。
自分軸、にも繋がりますね。
相手が裏切らないなら信じる。これは相手軸です。
相手がどうであろうと信じると決める。これが自分軸。
なぜこの言葉に目が留まったかというと、
自分を表現する中で、不安って湧きやすいと思ったんですね。
今まで目立つ発言を避けてきたのに、発言するようになったのであれば、
勿論、どう見られてるかな、言い過ぎたかな、不快にしなかったかな、
そんな不安がよぎりますよね。
そういう時、知らぬ間に相手軸になっていたんだなと気付きました。
私が私を表現したことで、あなたが不快に思ったとしても、
もし嫌われてしまったとしても、それでも私はあなたが好きだよ。
私は私を表現していくし、あなたがそんな私をどう思おうと、
あなたの事は変わらず好きだよ。
そう思うと、なんだかぽわっと心が温かく、楽になるんですよね。
相手に嫌われると、どうしていいかわからなくなるんじゃなくて、
相手に嫌われても、私は変わらずその子を好きでいればいい。
全員から好かれることは出来なくても、全員を好きでいる事は出来る。
勿論好きじゃない同士なら、仲良くする必要もないわけで。
他の例だと、嫌な態度を取ってくる人っていますよね。
人間でいる限り、不完全体ですから、仕方のない事です。
ただ、その相手の態度につられて、こちらも嫌な気持ちにならなくていい。
相手がなんでそんな態度を取ってるのかはわからないけれど、
私は私のムードを続ければいい。
ハッピーならハッピーのまま対応すればいいし、
私は私を保てばいい。ギアを相手に合わせなくていい。
それでも私はあなたが好きだよ。
なんだか私の心はぽわっと温かく、ちょっと膨らむ感じがあります。
心が喜んでいるような。
何か対人でもやもやしている人は、唱えてみてください。
あなたがどうであろうと、それでも私はあなたが好きだよ。
そうすることで、相手とのもやもやとした悩みを手放し、
あなたの一日を存分に楽しんでください。
Rea🐈🍷