gluewineのブログ

HSPなReaです🐈🍷身も心も温まるシナモンが入ったあったかいGlue Wein🍷でほっこりブログ

事実に対して、その感情は適切かどうか

こんにちは。

 

今日も今日とて心と向き合っています。

私は最近猫を飼い始めたのですが、HSPを勃発しております。

というのも、簡単にいうと猫へ意識が行きすぎている、ということです。

意識が常に猫にあるんですね。

本来意識は常に私の心にあるべきなので、バランスを崩しそうです。

いかに自分のペース、スペースを守り、相手の在り方を認めながら、

共同生活をしていくか、というのを学んでいます。

ゆくゆく役立ちそうな気がします。

HSPは心配性、過干渉を発揮してしまいがちですが、心配よりも、信じる。

そうする事で適切な距離感に近づくかなって思ってます。

 

今日は、私の感情は事実に対して適切な度合いかどうか、について考えました。

例えば恋愛でいうと、好きな人とお別れした時、

あるべき感情以上に、過度な感情を感じているのではないか、という事です。

 

特にお別れといった状況において、

冷静に会話を最後まで続けるのは難しいと思います。

どんなに冷静を保とうとしても、感情が勝つことがあります。当たり前のことです。

そんな中でも自分なりにも自分の思いを出来るだけ伝えて、お互いの合意のもと、

お別れに結び付いたとします。

 

彼と別れてからの感情って複雑ですよね。

そう簡単に整理できるものではないと思います。

まずは悲しいのであれば悲しくていいんです。とことん泣く。そして寝る。

翌日もまだ悲しいかもしれません。悲しくていい。悲しいだけ悲しみましょう。

そして多少一旦落ち着いてきたら、事実を振り返るんです。

自分の妄想を切り離して、彼の言葉、起こった出来事、その事実だけを

冷静に見つめてみる。

なぜ彼はこう言ったんだろう、こういう意味だったのかな、

こうしてれば上手くいったのかな、どんな彼も受け入れるべきだったかな、

ここさえ変わってくれれば、彼はベストな人だったのにな。

そんな妄想がめまぐるしく降って湧いてくると思います。

でもこれは全部妄想だと認識しましょう。

事実だけを見つめましょう。

 

というのも、多少落ち着いた時点で、改めて事実と向き合う事をせずに

事実と妄想をごちゃませにしたまま感情に浸ってしまうと、

不釣り合いな悲しみや後悔を経験する事になりかねないからです。

例えば彼はまだ身を固める覚悟が出来ないと言ったとします。

こちら側は結婚をしたい。お互い話し合いの上で合意し、お別れしました。

なので事実は、求めるものの不一致で、合意の上お別れをした。だけ。

だた妄想を絡めると、

彼はそう言ったものの、私に魅力が足りなかったのではないか。

もしかして、他に好きな人が出来たのではないか、

もしかして、最初から遊びのつもりだったのではないか。

私はてんぱっていて、ちゃんと彼の伝えたかったことを理解できていたのだろうか。

もっと上手く話せれば、今後も彼といられたのではないだろうか。

とか、彼への疑惑、自分という価値への疑問、後悔と今後の可能性への期待。

そんなものが湧き始め、極度に落ち込んだり、無価値観を感じたり、

逆にまだ可能性はあるはずだと執着したりしてしまうと思います。

 

なので事実は何だったのか。それを冷静な頭で一度理解し、

妄想が暴れ始めた時は事実に帰る。

それを繰り返すと不釣り合いな感情から抜け出せると思います。

 

恋愛だけじゃなくて、

例えばプレゼンテーションの前に過度な緊張や不安を感じた時も、

事実は何だっけ。あなたが調査した結果を人に伝えるだけです。

調査結果を報告するのに、この動悸はつり合いが取れているだろうか?

取れていないのであれば、何か妄想が悪さをしているという事です。

上手く出来るだろうか、評価に影響するだろうか、恥をかきたくない。

これらが妄想で、あなたの感情に働きかけている。

事実は、あなたが調べた結果を人に伝えるだけです。

多少リラックス出来そうじゃないでしょうか?

 

こんな風にして、強い感情を感じた時には、

冷静な気持ちで一度事実を見つめてみる。

そしてこの感情が適切な度合いであるのか、考えてみるといいと思います。

 

あと、プレゼンテーション、とかディスカッションとか、

緊張を煽りやすい単語ってあると思います。

そういう単語は私は意図的に別の表現に変える事で、自分の中の緊張をほぐします。

プレゼンテーションは、

なんとなく非武装の私が大衆の目にさらされるようなイメージがありますが、

調べた事実を共有する場、という表現に返ると、

私はあくまでデータとそのデータを人に繋ぐ仲介者的な位置になります。

武装のまま大衆の目にさらされる者ではなくなるのです。

ディスカッションは、

なんとなく意見をぶつけ合う戦いの場というイメージがありますが、

自分の思いをシェアする場、という表現にすると、

戦う必要はなく、ただ私の思いを伝えればいいんだと思えます。

人と思いが違ってもいいんだって。

 

強い感情を感じたら、事実をなぞってみる。

そして事実に対して、感情の強さは適切か考える。

妄想が悪さをしているようであれば、

自分の感情を過度に掻き立てているのは何か自分と会話してみる。

 

自分の心にまずは耳を傾けることからですね。

皆さんの心が穏やかでありますように。

Rea🐈🍷