gluewineのブログ

HSPなReaです🐈🍷身も心も温まるシナモンが入ったあったかいGlue Wein🍷でほっこりブログ

人と比較するのをやめるには、捉え方を変えましょう。

こんにちは。

今日も今日とて心と向き合っています。

 

今日は頭の中がパンパン、コチコチ、多分情報過多状態なので、

とりあえず色んな事を吐き出してみようと思います。

鬱になってからの1年間は毎日日記、メモを書くのが日課だったのですが、

最近はついに頓挫しておりまして、まあこれも一歩進んだ証という事にしましょう。

今日のブログが上手くまとまるかは、今のところわかりません。

 

最近も新しいお家のコーディネートのために、

あーでもない、こーでもないと頭をフル回転しています。

こだわりも強いので、一個調べ始めるとあっという間に2時間経ちます。

脳がフル回転ということは、雑念もフル回転。

検索しながら、昨日のあんなこと、今日のこんなセリフを

同時進行で思い浮かべてるわけです。

そんな中でも自分が出来てる事、とすれば

その妄想に気付いて、その妄想からくる自分の反応に気付いて、

検索しているという事実に戻れるというところです。

勿論妄想に呑まれて、心がもやもやし数分後に気付く、なんてこともありますが、

それでも、気付く、という事が素晴らしいですよね。

これからも自分の心を見張る、観察する、続けていきたいです。

 

今日は本を読んでいて人と比較する、という、

無駄と知りながらどうしてもやってしまうこの習慣について、考えてみました。

人と自分という空間のとらえ方を間違えているんだろうなと思います。

人と比較する時、私たちはは知らぬ間に自分や人の生きてきた道を

縦一本の線としてとらえていると思います。

まるでずっと一緒に歩んできたかのように。

まるで相手の全てを知ってるかのように。

でも実際、例えば友人Aさんと私が出会って過ごす時間って

人生でいうほんの一時にしか過ぎないわけです。

つまり私と並走している数か月のその前後を知らないのに、

まるで全部知ってるかのように思い込んでいる、ここがまず罠です。

例え何十年も仲のいい親友であっても、

その子と一緒にいた時間だけで換算すればそれほど長くないはずです。

家での彼女、バイトや会社での彼女、彼氏といる彼女、一人でいる彼女を

どれほど熟知していると言えるんでしょう。

 

例えば、Aさんと私が同じ就職先を目指したとします。

比較が生まれやすい状況ですよね。

例えばAさんが受かって私が受からなかったら、負けた気がしますね。

でも例えばAさんが本当は国会議員になりたいとしたら、

彼女にとってその職場はまだまだ道半ば、きっと険しい道がまだ待ってますよね。

かたや私がもし安定した会社に入りたいという希望であれば、

別の安定した会社に受かったのであれば、大成功ですよね。

相手がどこに向かってるのかも知らずに、

私たちはまるで相手の全てを知っている気になって、

ほんの一瞬並走した時に比較して、一喜一憂しているわけです。

大事なのは結果じゃなくて、相手じゃなくて、

私は満足か、幸せか、それだけなんですよね。

 

例えば車を運転していて、後ろの車が抜いてきた時になんとなくムッとしますかね。

抜かれたという結果を見て、私が遅かったのかしら、危ない人ね、とかなんとか

思ったりしますよね。

でもその人の親族が病気で、急いで東京から大阪に向かってて、

かたや自分は東京内を悠々移動中なだけだったら、感じ方は変わりますかね。

ご苦労様、急いでるのね、気を付けてね。そんな気持ちになりませんか。

なんとなく、比較する事の無意味さわかってきた気がしませんか。

 

例えば、嫉妬する美しい友達がいたらどうでしょうか。

人気者で幸せそうな彼女を見て、妬んだり嫉妬する人もいますよね。

でももし彼女が、本当は女性に恋をする心を持っている人だったとしたら、

彼女はあなたと美を競っている場合ではないわけです。

 

皆それぞれの事情がある。全部知った気になってることが罠なわけです。

簡単に言うと、人の事なんて、どう頑張っても、わからないのです。

だから知った気になるよりも、わからないものなんだ、と意識を入れる。

嫌な人だな、羨ましいな、むかつくな、じゃなくて、

人の事情はわからないものだな、と思うんです。

 

私たちはたまに一瞬並走するんです。

その瞬間をまるで全てのように感じて、一喜一憂し、絶望までする。

自分たちの人生を、平面の線で捉とらえるから、

あの子の方が早い、あの子の方が前にいる、この子は遅い、そんな感覚が芽生える。

でも人生を、立体の中の点でとらえるとどうでしょうか。

そうすると、前も後ろも、上も下も存在しませんよね。

皆が好きな方向を向いて、好き勝手な速さであちこち動いているだけです。

顕微鏡で見た、微生物みたいな。

誰が早いも、遅いも、前も後ろも、上も下もない。

点がたまに早くなって遅くなって、右行って左行って浮遊しているだけ。

それが私たちなんですよね。

その点と点がたまに並走する、その瞬間に比較をしている。

なんとも無駄に思えてきますよね。

行先も知らないのに、それまでどこを浮遊してたかも知らないのに。

まるで全部知ってるような気がしてる。

 

世界は自分を中心に回ってる。

この言葉ってちょっとネガティブな印象がありますよね。

自己中心的みたいな。ナルシストみたいな。

なんでナルシストに聞こえるかっていうと、

自分を中心に世界を見てるから。

あの人は私をどう思ったかな、あの人は私をどう評価したかな、

あの人は私より勝ってるかな、あの人はあの人は・・・って。

 

自分が周りの世界を気にしなくなった時、世界は勝手に回り始める。

私以外の世界は、私以外のそれぞれの人で作られてるから。

私以外の世界は、私の関与するところじゃない。

私以外の世界は、皆が各々幸せになるために切磋琢磨している。

そして私の世界は私だけになる。

私の世界は、私が幸せになるために、私が切磋琢磨する世界。

それこそが私が作るべき世界。

私が何をしたくて、私が何を好きで、私が愛を感じてて、私が安心してる。

私を中心に私の世界は周り、外の世界は勝手に回る。

 

ちょっと難しくなってきましたかね。

なんだか人と比較してしまう時、なんだか負けた気がしてイライラする時、

微生物を思い出してみてください。

あの子も、この子も私も、皆微生物のようにあちこち浮遊いているだけ。

むしろ一瞬でも並走したなら奇跡です。

どっちが勝ったという事よりも、

並走したという事実に、わあ、こんにちはって言いたくなる。

比較するのがバカバカしく思えたら、大成功ですね。

 

ブログがまとまったのかはよくわかりませんが、

私の頭のコチコチ感は良くなった感じがします。大成功ですね。

 

皆さんの心が安らかでありますように。

 

Rea🐈🍷