gluewineのブログ

HSPなReaです🐈🍷身も心も温まるシナモンが入ったあったかいGlue Wein🍷でほっこりブログ

いじめっ子はカウンセリングへ

こんにちは。

 

一昨日くらいから、なんとなくいじめについて振り返ってますね。

嫌なことに囚われてしまうのがHSPですから。

上手にスイッチを切り替えるすべも持ちつつ、

向き合いたいものがあるなら、メンタルが調子いい時には

とことん納得いくまで向き合ってみるのも

私はいいんじゃないかと思っています。

その後スイッチの切り替えもしやすくなるでしょうから。

そんな中何気なく考えていたことがあります。

 

今またいじめに合ったら、乗り切れるだろうか。

勿論もう大人なので、いじめといういじめはないですが、

今の私が過去いじめられてた時に戻ったら何か出来るんでしょうか。

そう考えるのです。

 

いじめっ子ってやっぱり口が上手いというか。

屁理屈、揚げ足取り、デマ、何かしらの理由をこじつけて

いじめられた子が悪いと、いじめや己の正当性を主張し

仲間を増やしていきますよね。

人間はいじめは悪いと知りながら、一方でその刺激を楽しむ本能を

持ち合わせていますから、口車に乗せられます。

また同じ目に合いたくない恐怖もありますから、

ひとまず中立の立場を取り、

いじめっ子にはいじめっ子側についたように振舞う。

その結果10対1、そんな構図が出来上がるんです。

 

私はそういう点では頭が上手く回転しません。

どんな嘘をいじめっ子が堂々と皆の前で主張しても、

ただただ私はやってない、言ってないと主張するしかできません。

だって他に何が言えたでしょうか。

そういう屁理屈が上手な子は天性のものです。

残念ながら私にその才能は持ち合わせてません。

正直者は救われる、そう信じて、ただただ友達を信じて、

私の無罪放免が認められることを願いました。

やってない、言ってないことを証明することは難しい、不可能です。

ましてや小学生、中学生の段階で。

その屁理屈に勝てる屁理屈を繰り出せればいじめられてないでしょう。

素直だからこそ、こいつは言いくるめられるとバレてるからこそ、

ターゲットにされるのです。

 

どうやったらターゲットにされなかったのか。

どうやったらいじめをかわすことが出来たんだろうか。

そんなことを無意識に考えます。

でもこの回想、根っこに潜んでるのは自己否定です。

ターゲットにされた自分をネガティブにとらえてる。

いじめをかわせなかった自分をネガティブにとらえてる。

自己否定していることに気付きながらも、

この回想を止めることは出来ませんでした。

HSPだから囚われているのもありますが、

誰も私は悪くなかったよって明言してくれてない、

そんな気持ちがありました。

 

そんな中今日ふとYoutubeから聞こえた言葉がありました。

 

”日本ではいじめられた子にも原因があるという考え方が浸透しているが、

海外では、いじめた子がカウンセリングを受けに行く。

人をいじめるという心理に、心の問題があると考えられているから。”

 

なんだかやっと私の無罪放免が認められたように感じました。

カウンセリングに行くべきは私じゃない、あんただ。

どんなに私はやってないと言っても、皆はわからないんだろうな。

どんなに私は悪くなかったと思ってても、いじめをかわせなかった。

もっと強くなりたかった。皆に信じてもらいたかった。

ターゲットになるような人間に生まれたくなかった。

そんな風に思ってた自分を、

いじめられてから複雑にこんがらがっていた私の思考や思い込みを

根っこからほどかれたような。

どこに真実があるのわからなくて、定まらなかった私の軸が

やっと私のところに戻ってきたような。

いじめられた方には何の問題もなかった。

いじめた子に心の問題がある。

そういってもらえた事で、心の歪みが取れたような

私を軸にやっと世界が回り出したような感覚でした。

 

今またいじめに合ったら、乗り切れるだろうか。

 

今またいじめに合ったとしても、

きっと私はあの頃と同じことしか出来ないでしょう。

でもそれで良いんです。それが私だから。

私は屁理屈に勝つ屁理屈を持ち合わせていません。

でもその代わり、私は素直に、無邪気に育ちました。

無邪気さ故たまには人を不快にすることもあるかもしれません。

でもそれはいじめられる理由にはなりません。

人を不快にしない人なんて存在しないからです。

不快だったと主張する人がいれば謝りますが、

それ以上でもそれ以下でもありません。

 

もし今いじめに合っている人がいたら、忘れないでください。

どんなものであっても、いじめる理由には値しません。

いじめる理由なんて存在しません。

屁理屈が上手ないじめっ子は天性のものです。

そのフィールドで戦うのは相手の思うつぼです。

どうぞ勝手にお楽しみください、そんな気持ちで、

そのフィールドは譲りましょう。

言われっぱなしでいいんです。

万が一、皆が口車に乗って、10対1になってもいいんです。

あなたにはどうしようもない事です。

あなたがすべきは、あなた自身を慰め、あなた自身の味方でいる事。

 

代わりにカウンセラーを紹介してあげてもいいかもしれません。

そしてあとは憎き相手の幸せを願いましょう。

いじめっ子の不幸を哀れみの心で受け流し、

いつかその子たちも、私やあなたのように幸せになれるように。

 

いじめられた子は何も悪くない事。

誰もはっきりと言ってくれないこの事実。

私が断言させてもらいます。

あなたは何も悪くない。

自分を愛することをやめないで。

あなたが愛されてることを忘れないで。

あなたは特別で、素敵で、誰もが羨むあなたなことを忘れないで。

 

Rea🐈🍷

今を生きることが、過去と未来を大切に生きる事

こんにちは。

 

前回のブログで過去は妄想ですと言いました。

どんなに悲しい出来事も、嬉しい事も、1秒たてばそれはもう過去です。

悲しい出来事が起こっていたのは、その過去の一瞬です。

今、過去を回想した場合、それは記憶です。

記憶はあいまいなものです。

今日何時に起きましたか?

朝ごはんは何を食べましたか?

どんな匂いでしたか?

牛乳はどのくらい残ってましたか?

それが記憶です。

でも人は衝撃を受けたという曖昧な記憶を

事実として頭のどこかに保管しています。

そして度々思い出しては、沈んだり、落ち込んだりして。

 

過去の記憶に力を送っているのは自分自身です。

何度も記憶を呼び戻すことで、

思考の中でその記憶への回路がはっきりと作られていきます。

トラウマや、嫌な思い出は思い出さない事です。

どうやって?って思うかもしれませんが、

勝手に思い出してしまうのではありません。

人はちゃんと意図して思い出しています。

なんとなく手が空いた時、暇つぶしに回想してみたり、

似たようなことが起こった時、過去とリンクさせるために思い出したり、

自分の意志で思い出してるんです。

嫌な記憶を思い出したことに気付いたら、

思考を止めて、別の事を考えてください。

何食べようでも、歌いだすでも、なんでもいいです。

思考回路を遮断してください。

これを繰り返せば徐々に思い出さなくなります。

 

思考に振り回されるのでなく、

思考を出来るだけコントロールしていくことです。

この体、思考はあなたの一部ですが、あなたではありません。

あなたはこの体の心です。

心をもって、体、思考、感情がそれぞれの役割を司っている。

それが本来の一人の人間です。

 

小さい頃を思い出してください。

数分前に起こったことについて、悩んでましたか?

明日学校嫌だなって悩んでましたか?

なんとなく今したいと思ったこと、

なんとなく今嫌だと思ったこと、

心に正直にただ今を生きていたと思います。

小さい頃の方が体の扱いが上手だったと思います。

徐々に沢山の知識、ルール、常識、そんな物を植え付けられ

大人になるにつれて、思考が心より力を持つようになったんです。

その結果、その思考に苦しめられているなら、

心に帰る時が来たんだと思います。

 

今は一瞬です。

今と声に出して、言い終わったときには、その今はもう過去です。

人は過去を悔やみ、未来に不安を抱いて生きています。

では今そこで悩んでいる ‘‘あなたの今‘‘ を生きてくれてるのは誰ですか?

あなたが生きるべきはずの‘‘あなたの今‘‘が空っぽです。

時は必ず刻まれてくので、今が過去になり、未来が今になります。

今を大切に生きることが、結果的に過去と未来を大切に生きる事です。

今を蔑ろにして、過去を悔やみ、未来に不安を抱いていれば、

その後悔と不安は永遠にいなくなってはくれないでしょう。

 

今という一瞬だけが事実です。

過去は妄想、そして未来も妄想に過ぎません。

妄想を生きるのでなく、今ここにいる一瞬一瞬を生きてみてください。

見えてるものを声に出して言ってみてください。

自分が座ってるものに触れてみてください。

自分の手を見てみてください。

視界がクリアになってきて、妄想、思考が今に戻ってきます。

私はこれをやるといつも掃除がしたくなります。

妄想を生きてるから、今ここで見えてないものが多いんです。

そして家が散らかってることに気付かされるんです。w

今見えている、触れている、聞こえているものだけが事実です。

その他全ては思考、妄想で事実ではありません。

 

それでも人は思考を使わずには生きていられません。

なので切り替える意識を持つことをお勧めします。

仕事が終わったら思考にお疲れ様をして、心との会話を楽しむ。

不安がやってきたら、見えるものを声にして、今に帰る。

思考に振り回されていた自分にさようならしましょう。

 

人間はもっとシンプルになれそうな気がしてきませんか。

 

Rea🐈🍷

トラウマがその現実を作り出す

こんにちは。

 

HSPを発揮する場所って人それぞれ違うんですかね。

私はてっきり皆対人で発揮するのかなって思ってましたが、

Youtubeでロンブーの敦さんもHSPかもしれないとおっしゃっていて、

彼の潔癖な症状がHSP由来だそうです。

”トラウマのように、その恐怖が頭からどうやっても離れない”

という点は似てる気がしますね。

HSPはまだまだ奥が深そうです。

 

私のHSPはもっぱら対人です。

特に同世代の女の子グループへの苦手意識が全く取れません。

過去の経験やトラウマも複雑に絡み合ってると思います。

 

過去の話をしましょう。

私はとても活発で、いつも先陣切って色んな遊びを生み出し

男の子とも、女の子とも体を動かして遊ぶタイプの子でした。

女の子たちがおしゃべりで盛り上がってる時は、

いまいち盛り上がり方がわからなくて、

上手く輪に入れてないような気がしました。

女の子の輪に入ることへの苦手意識は、

小さい頃から抱いていたように思います。

 

そして小学校高学年の頃転校をし、コテンパンにいじめに合います。

学生生活の半分はいじめに合っていたような記憶です。

多分盛ってますが、私の記憶ではそう焼き付いてしまってます。

いじめには様々な理由がある、もしくはないと思いますが、

私の場合はなかったと思います。

あるとすれば、気に食わなかった。程度でしょう。 

何回か転校しましたが、どこにでもいじめっ子はいて、

どこでも私は標的になりました。

そういう星のもとに生まれたとしか考えられません。

 

当時の私には理由なんてわからなくて、ただただ苦しい毎日でした。

私が何か悪いことをしたんだって、自分を責めて、反省して、

いい子にならなきゃって、失敗しちゃダメだって、

皆との会話で一言も失敗しちゃいけない、嫌われる、いじめられる。

それ以来人との会話は私にとって常に戦場でした。

ミスったら一人にされる。絶対に相手が気を悪くすることは言えない。

絶対言うな私、絶対いい子でいろ私、楽しんじゃダメだ、

私が楽しむと、いじめられる。

そんな学生生活を送ってしました。

安心という感情は学校にはありませんした。

今日また突然しかとされるかもしれない、そんな恐怖でいつも目が覚めました。

その結果、女子グループは恐ろしい、女は必ず裏切る。

という確信に近いトラウマが長い学生生活で植え付きました。

 

今となって思えば、

私はいじめっ子の気に食わないもの全部持っていたんだと思います。

容姿、成績、好感度、人気度、友人、男友達、両親と姉、等々

私がどうではなく、少なくともいじめっ子目線ではそう見えた。

私の持ってる全てがうらやましかったんですね。

ある意味いじめっ子たちは、

自分の境遇と私の境遇の差をその歳で感じられる程

大人な視野を持っていたんでしょう。

そんなのもわからずにのうのうと

ただ楽しそうに生きてる私が気に食わないんでしょう。

 

それ以降私は基本友人とは1対1で付き合うのが好きでした。

サークルや同好会といったグループを避けてきました。

私にはどうにもできない未知の法則でグループは存在し、

グループの法則の中で私はいじめられっ子という役割に必ずなるから。

社会人にもなればそんなグループは徐々に消滅し、

少人数での付き合いが始まりました。

とても気が楽で、あーやっと解放されたんだって思いました。

相変わらずつつてい来る人はいるけれど、

グループではなく個人なので、何てことありませんでした。

私はやはり、そういういじめっ子気質のある人に目を付けられるようです。

本当に不思議です。

嬉し事に基本的に人は、私と友達になろうと、仲良くなろうとしてくれます。

ただいじめっ子気質の人間にだけは必ず、200%で嫌われるんですね。

見えない法則が存在してると思います。

 

そしていじめからも年月が経ち、

グループ付き合いとも疎遠になり、安心安全な日々をすごし、

この国にたどり着きました。

ある時ふと職場で苦手意識を覚えて、なんだろうと思ったんです。

気付けば、私は5人の同世代の女の子と働いてるんです。

人種は違えど、まさに私の苦手パターンです。

まさか、これかと。

私はここまで来てまだトラウマを引きづっている。

愕然としました。いつ乗り越えるんだと。

そしてここで気付いたことが一つあります。

 

私の苦手意識、トラウマが、現実を作り出してる。

私が苦手ゆえに、上手く女の子たちとコミュニケーションがとれておらず、

私が皆と距離を取っている。だから皆も私から距離を感じてる。

どこかで、会話をミスったら嫌われるって確信してるから

定型文のような会話ばかりしていたんじゃないかと思います。

その結果なんとなく輪に入り切れてないそんな感じがしました。

皆は私を裏切るような子たちじゃないし、

こんな大人になって仲間外れとか、いじめなんてありえません。

ましてや陽気な人種の方たちです。

根に持つ、陰湿なことを楽しむタイプの人たちじゃありません。

 

ああ、私のトラウマが作り出しているこのトラウマ的現実。

 

過去は妄想です。

過去に起こった事実だとしても、思考は必ず脚色しますから、

それはもう妄想です。

なので、いじめの経験から偏っていた思考と向き合い改めました。

・相手に何を求められてるかは関係ない

しゃべりたいときはしゃべって、

しゃべりたくない時は無理にしゃべらない。

そんなナチュラルな自分でいようとしました。

・まず自分自身が自分を大好きになる

苦手な女子グループから好かれなきゃ、じゃなきゃいじめられる。

そんな洗脳にも似た強い思考がありましたが、

人に好かれる事より、まず自分が自分を大好きになる事。

・嫌われていい

人に嫌われてもいいんです。相いれない人はどう頑張っても無理ですから。

嫌われている人に嫌われないように時間を費やすよりも、

好いてくれている人に、

ありがとうと私も好きだよを伝える時間をもっと増やす事。

 

そんなことに意識を向けるようになると、

徐々に自然な会話、交友が出来るようになったと思います。

 

ただ今も知らぬ間に私以外の子たちが仲良くなってたり、

私以外の子たちがチャットしてるのを知ると、

トラウマが蘇って、心が沈んだり、焦ったり、

反射的に心がNegativeな反応をします。

正直、私のHSPが勃発する対人関係においても、

この女子グループ関連は、私の不安、恐怖の中でも、一番根が深い。

女の子たちは敵じゃないってこと、まだ心が理解できてない。

でも少なくとも頭ではわかっているので、

まだまだ時間はかかりそうですが、

女子グループといても安心していられる自分になれるよう

このブログで整理していきたいです。

 

Rea🐈🍷

 

HSPの疲労との付き合い方

こんにちは。

 

私はHSPと知る前から、なんだか疲れやすく、

ずっと未知の病気なんじゃないかなと疑っていました。

人混みや、買い物、新しい場所、広い場所、友達と遊んだ後や仕事の後、

いつもどっと疲れてるんです。顔の筋肉が重力に勝てないくらい。

疲労って聞くと、体の疲労を思い浮かべる人もいるともいますが、

私の場合は脳が疲れている、そんな風にいつも感じていました。

 

HSPだと知って、私の疲労の理由がわかり、ほっとしました。

未知の病気じゃなくて、私の感知センサーがフル稼働しているから

脳が疲れている。

 

予定を詰め込んでいる友人や姉を見て、とても不思議だったんです。

元気だな、体力あるな、すごいな。なんで私には出来ないんだ?

リア充なんて言葉も流行ったせいで、頑張らなきゃなんて思って。

でも私はもう限界を感じていました。

なので週に最大3日までしか予定を入れないようにしてました。

その頃はHSPだと知らなかったので、

割り切って、疲れやすい自分とは付き合えませんでした。

誘いを断るのも気が引けて、怒ってないといいなって悶々としたり。

私がわがまま、自己中なだけなのかなって、自己嫌悪したり。

どうして皆は出来るのに私は出来ないのかって自分をいじめたり。

それでも限界だったので、

嫌われないといいなと願いながら、バランスを取っていました。

 

HSPと知ってからは、そんな疲れやすい自分のために

今まで自分に課してきた沢山の禁止事項に許可を出しました。

・予定は立てなくていい

もう先の予定を入れるのをやめました。

遊びたいときに遊び、休みたいときに休むことを優先するのに、

予定は邪魔になるんです。

・ドタキャンはしていい

ドタキャンも自分の中で許可を出しました。

今までは絶対に許されないと思って生きてきましたが、

幸い、この国はドタキャンをするのは珍しいことではないので、

私もあまり罪悪感を抱くことなくいられます。

・疲れたら帰宅していい

友人といる時に疲れたから帰るね。というのはちょっと気が引けますよね。

でも私はその友人が好きだからこそ、今後も付き合っていきたいからこそ、

無理をしない関係でいたい。なので素直になろうと思っています。

・一日中家でぐーたらしていい

HSPは家でぐーたらしなくてはいけません。

これをしないと、なにもかもが楽しめなくなります。

家でぐーたらしてるとなんだか置いてけぼりになったようで、焦りますよね。

でも普通の人が3時間でエネルギーチャージできるなら、

HSPは丸2日かかりますから、

HSPにあやかって、たっぷり至福の一人時間を楽しんじゃいましょう。

 

こんな風に自分に許可を出して生きていると、

自然とそういうのを許してくれる友人が集まってきます。

順繰り順繰り友人の輪も変わっていきますから、悲しむことなく

今そこにいてくれる友人に感謝して、同じ時を楽しみましょう。

 

人のためじゃなくて、自分のために生きる。

相手が何をしたいかじゃなくて、私は何をしたいか?

相手が疲れてるかなと気遣うじゃなくて、私は疲れてないか?

相手が何を食べたいかじゃなくて、私は何を食べたいか?

相手を不快にしてないかじゃなくて、私はどうしたいか?

HSPは感受性が豊かなので、相手の感情、思考を上手にくみ取ります。

くみ取った結果のまれます。自分を置いてけぼりにします。

相手じゃなくて、まず自分に問いかける。

私はどうしたい?楽しんでる?疲れてる?

自分の声を聞いてからの相手。でいいんです。

 

私は明日一日たっぷり休息時間です。

ゆったりジャズを聴いて、ルイボスティーを飲んで、優しい本を読みたいです。

それ以外何もしたくありません。

何にもしない幸せがHSPにはあるんです。

 

Rea🐈🍷

褒められるほど人は自信を失う

こんにちは。

 

最近乱れていた私のメンタルですが、徐々に平穏を取り戻しました。

こうやって自分の気持ちを毎日整理出来たことと、

2日間のお休みをもらって合計4日間リラックス出来たことが

功を成したのではないでしょうか。

きっとこれからも、上がったり下がったりしながら生きていくんでしょう。

 

そんな今日は久しぶりに人から言われて嬉しかったことがありました。

日本で社交場に繰り出したりすると、

ふと誰かが、私についての感想を述べたりしますよね。

褒められたり、え?みたいなコメントがあったり、

どんなものも面白いですよね。私ってそう見えてるんだって。

 

今日は久しぶりに会社の人から、こんなことを言われました。

Reaちゃんがいるとパッと周りが明るくなるよね。

勿論在宅勤務なので会ってないですが、用があってチャットをしました。

お言葉はありがたく頂戴しましたが、

なんだか久しぶりの感覚だなあと感じました。

 

そしてふと考えました。それも文化の違いかもしれません。

この国でも私は沢山の交流をしてきましたが、

あまり第一印象とかその人に対するコメントをこちらの人たちはしません。

日本ではよく、かわいいね、イケメンですね、肌がキレイ

そんなことを本人に言いますが、

こちらの人たちは容姿へのコメントを交流の場で話題にしません。

勿論会話の中で、その靴素敵ねとかそういう話にはなりますが、

日本みたいに、容姿ネタは典型的な話題の一つではありません。

(勿論通りすがりのナンパ的な人たちは言ってきますが。)

 

それは個人を尊重しているからかな、と思いました。

かわいい、かっこいいはその人の相手に対する評価です。

相手への評価は、相手の自由を奪います。

日本のように、かわいい、かっこいいというコメントが

日常的に行われているというのは、

日常的に人から評価されているということです。

常に人の評価の目にさらされている。

なので日本含めアジア人は美に厳しい。

 

こちらの国は皆とってもナチュラルです。

化粧っけもありません。自然体で、自信に溢れています。

白人さんは肌が弱いので20代後半にもなると皺が目立ちますが、

熱心にエステや美容クリニックに通ったりしていません。

評価にさらされてないからこそ、自分らしくいられる。

そんな感じがします。

 

褒められるほど自信を失う。

どこかで目にした言葉ですが、HSPになって自分と向き合うようになって、

その通りだったんだと思いました。

今では徐々に、ありのままの自分を受け入れることが出来ていますが、

私は小さい頃から褒められようと努力してきました。

それが一般的な家庭教育の結果だと思います。

いい点数をとりなさい、いい学校に行きなさい、いい会社に勤めなさい。

いい点数を取らなきゃ(いい点数を取れない私には価値がない)

社会もそうです。

かわいいね、スタイルいいね、肌キレイだね、モテそうだね。

かわいくいなきゃ(かわいくない私は価値がない)

いつからか、褒められてやっと自分の価値が認められる。

そんな方程式が出来上がってました。

それはつまり、褒められてないと私には価値がない。

無意識に頑張り続ける自分を作り上げていきます。

 

でも人間て四六時中、365日頑張ってられないんです。

褒められない時が必ずくるんです。

疲れててかわいくない時、肌が荒れてる時、いい点数が取れなかった時、

うっかりミスをしちゃった時、年齢とともによれてくるお肌。

そんな時、私に価値はないんでしょうか。

 

そんなわけないんです。

ここでただ息をしてる私に、考える必要もないほどの価値があるんです。

皆同じです。皆が息をしてるだけで価値があるんです。

この国の人たちはきっとそれを知ってるんです。

 

生きてるだけで褒められる。

ありのままのその人で生きていける。

そんな優しい世の中になっていくといいですよね。

 

Rea🐈🍷

自分に意地悪なのはいつだって自分

こんにちは。

 

忙しい時って忙しいを引き寄せますよね。

今日はお休みの子がいて、昨日からその子が抱えていた問題を

引き継いだのですが、その背景を私はよく知らないので、

ちょっと面倒そうだなあ、と思いながら今日が始まりました。

ああ、早く終わらせたい、そんな気持ちで取り掛かっている時って

必ず、別件もお願いされたり、

なんで今日?って事をどんどんお願いされますね。

案の定あれや、これやとやってきて、

まあそんな時はうっかりミスもしますね。人間ですから。

こっちからすれば、こんな忙しいのに頼んできたそっちが悪い。

むしろ他人の問題を引き継いでるんだから感謝してくれ。

って感じで、相手への文句を心の中で唱えることで、

自分を正当化しますね。

 

でもその大半が、私の妄想で出来上がってるんです。事実だけ見れば、

1.Aさんの問題を引き継いだ私。

2.私に質問をしたB。

3.私に確認をお願いしたC。

4.そんな中ちょっとしたうっかりミスをした私。

それだけなんです。独立した4つの事象が起こっただけなんです。

 

騒がしいのは私の頭の中です。

1.Aさんの問題を引き継いだ私。

(もっとちゃんと引き継いでよ。面倒なことに巻き込まれた。なんで私が)

2.私に質問をしたB。

(こんな時にそんなこと。自分で調べてくれないかな。もう)

3.私に確認をお願いしたC。

(今日に限ってなんなの。あーもう忙しい。早く終わらせたい)

4.そんな中ちょっとしたうっかりミスをした私。

(忙しいのに頼み事する皆が悪いんだ。私じゃない。指摘されてムカつく)

 

4つの事象を関連付けてイライラを悪化させて、結果ミスをし、

一生懸命自分を正当化しようとしてます。誰も責めてないのに。

 

私は誰かに対してイラっとした時は、一旦立ち止まるようにしています。

イラの正体は、怒りではないことが大半だからです。

でもこのイラを放置すると、意に反して相手に不快な態度を取ったり、

冷静になった時に後悔することが多いからです。

 

例えば今回の2つ目の事象で、私はBにイラっとしてます。

ここで立ち止まりました。

私は1の事象と関連付けて2でイラっとしています。

でもBからすれば、ただ私に質問しただけです。

私のイラの原因は1の事象から来る不安です。

よくわかってない上に、この問題解決するのかな。

その不安から、人に邪魔をされたことでイラっとしてる。

 

なので一度自分がイラっとした理由を整理する。

不安から来るのであれば、自分に掛けているプレッシャーを緩めて

明日でも大丈夫だよって自分に教えてあげて、イラを棚上げする。

そしてできるだけ真っ白な気持ちで、2つ目の事象に対応する。

イライラを背負ったまま会話をするよりも、棚上げした方が素直になれます。

私は、忙しいからそちらで調べられないか?と聞きました。

一旦調べてみて、またわかんなくなったら聞きに来ると言ってくれました。

イライラして下手に答えるより良かったと思います。

 

3も同じですね。私の中では1,2があっての3なのでうんざりしてます。

でもCにはなんの関係もない事です。

自分にプレッシャーをかけないように、時間が出来たときに対応しよう。

優先順位をなんとなくつけて、これはこの後にやろう、

そんな風にして焦りや不安を開放していきます。

 

そして4は、あーやっちゃったって思うんですよ。

こんな一生懸命やってるのに、やっぱやっちゃうんです。人間だもの。

そして自分を正当化したくなるんです。

そういう時人って、無意識に他人に当たります。

あなたがこうしたからこうなった。なんとなくぷりぷりして。

 

人に文句が言いたい時や、人に意地悪したい気持ちが芽生えた時、

それは自分が自分を否定している時です。

そういう時はまず事実を整理します。

・私はうっかりミスをした

・ただのうっかりで、全く問題になるものではない

・誰も私を責めてない

ではこんな問題ない事をなぜ一生懸命正当化しようとしてるのか。

それは自分が自分を責めてるから。

完璧に出来なかった自分を責めてるから。

そんな自分に気付いて接し方を改める。

あーやっちゃったじゃなくて。やさしく接しなおす。

一日5回までうっかりミスくらいしていいよ。

そんな感じ。

むしろ、めざせうっかりッミス5回!くらいの気持ちで。

 

自分に意地悪なのはいつだって自分。

自分が自分に優しくなるだけで、世界は変わりますよね。

 

Rea🐈🍷

ディスカッションが苦手な日本人

こんにちは。

 

今日はディスカッションの在り方について、ふと考えました。

日本にいる時は特に苦手意識を持ってなかったのですが、

この国に来てから、なんとなく徐々に苦手意識を持ち始めました。

 

日本と欧州では明らかにディスカッションにおける文化が違います。

私が気付いた点は、意見の述べ方の違いと、

その人の意見とその人の人格を混同するかしないかの違いです。

 

日本は協調性を大事にする文化ですので、

Yes,Noをはっきり伝えない傾向にあります。

遠回しに相手を傷つけないよう、気分を害さないよう、

出来る限りやわらかいニュアンスで伝えてるように思います。

欧州は、事実は事実として、合っている、間違っているをはっきり伝え、

自分はこう思っている、賛成、反対であるを明確に、

誤解が生まれないよう伝えている、そんな印象です。

 

ここまでは一般的に知られている違いかなと思いますが、

日本人が知らず知らずにうちに、意見交換の中で行っている事があります。

 

それは、意見と人格を混同している、ということです。

とある議題において、賛成反対意見があるのは、立場が違うので当たり前です。

ただ、日本のYoutubeやバラエティー番組、

コメンテーターのコメント等を見ていると

相手の意見を否定する際に、その人の人格まで否定しています。例えば、

こんな風に考えるあなたはまだまだ未熟だ。

これは簡単に言えば議題のすり替えです。

本来の議題から、人格否定に移動していますよね。

それと同時に、反対意見を言われた、

つまり自分を否定されたという思い込みから、

自分が正しいと主張したい、そのために相手を否定してやろう、

そんな感情からくる人格否定だと思います。

 

でもこの掛け合いは日本では当たり前のように行われています。

なので会議で自分の意見を否定されると、あの人は嫌な人だな、

なんていう感情が残るのは、日本あるあるです。

 

欧州ではどうなるかというと、意見は意見、

その人の人格とは全く次元の違う話です。

どんなに会議中に反対意見で白熱しようと、意見を出し合って、

より良い答えを導いているだけです。

自分の正当性を主張したいのではありません。

彼らの目的はその議題に対して、より良い答えを導き出すことだけです。

なので会議後には何事もなく一緒にカフェに行き、

いいディスカッションが出来たね、そんなすっきりした関係です。

その人の意見を否定するのと、その人の人格を否定するのは

全くもって別次元の話です。

 

ただ、これは日本の文化でもあります。

言葉はその人となりを表す。そんな文化が根強いので、

どうしても混同してしまいます。

世界相手のディスカッションでは弱い立場だと思います。

意見を意見として述べてる人と、人格を背負って意見を述べる人、

必ず感情的になるし、議題から反れて、

自分の正当性を主張する必要が出てくるのも当たり前ですよね。

 

そして私もその一人です。

皆のはっきりした意見を聞いて、そんなに私を否定しないで、

そう思ってたんです。だからディスカッションが苦手になったんです。

でも皆は、私の意見に対して意見を言っているだけで、

私の人格を否定なんてしてないんです。

 

文化は体に根付いているので、そう簡単に割り切れるものではないです。

無理に強い意見を言うのも、自分のストレスになる事もあるので、

私は自分が意見を言う時のスタンスは、無理に変えようとはしてません。

やわらかい表現で私は伝えたいので、そこはそのままです。

ただ意見を受け取る時には少し意識して、気を付けるようにしてます。

これはただの意見、言葉を言葉のままに受け取るように注意します。

私と相手に間には見えない壁があって、言葉だけが私に届く、

そんなイメージです。

 

普段はこれが出来るんですけど、HSPが暴走中はやっぱり難しいんですよね。

頭で考えるより先に、瞬時に心が悲しい、と反応してしまいますから。

だからそういう時は心の休息時間をたくさん取って、

頭の中を整理させてあげる。

そうやって一つ一つ心の声を聴いて、乗り越えて行くしかないですよね。

 

この文章を読んで、もし私が日本を否定したと思われた方がいらっしゃったら、

意見と人格の混同を無意識に行っていると思います。

私は私の意見、考えを述べただけで、

意見と人格の混同することが悪いとは一切述べていません。

体に染みついた文化って根強いですよね。

 

Rea🐈🍷