gluewineのブログ

HSPなReaです🐈🍷身も心も温まるシナモンが入ったあったかいGlue Wein🍷でほっこりブログ

今一瞬に集中するのが難しい

こんにちは。

今日も今日とて心と向き合っています。

 

最近の調子は、良くも悪くもないですかね。

でも、自分の中のハードルがあがってしまっているだけで、

よくよく振り返ってみると、ちゃんと出来てるねってことが多いです。

 

例えば昨日は、陶芸の帰り道にお気に入りの軽食屋さんのテイクアウトを

いつものように買って帰ろうと思いました。

普段から人気のお店ですが、コロナが過ぎ去り、観光客が戻ってきて、

お店はいつも以上に混んでいました。

そしてその結果、なんと1時間もテイクアウトを受け取るのにかかったんですね。

正直長くても30分くらいかなと思ってました。待っている間は、

徐々に疲労そしてイライラが出てきて、あーこれはメンタル疲労だと気付きました。

どうにか心に寄り添ったり、瞑想したりして、その時間をしのぎましたが、

帰り道はどっと疲れてて、重症だと感じました。

夜は、観光に来ている友達と都合が合えば、Dinnerをするかもしれない予定があって、

それまでに復活するかなあと思ったのですが、

いや、例え復活したとしても見せかけの復活で、

この疲労の根は深いと判断し、Dinnerはキャンセルしました。

この対応も今までの私なら、無理してDinnerに行っていたはずです。

彼女は折角観光にこの国まで来てるんだから、おもてなししなきゃって。

でも私は心の疲労の叫びを聞いて、家で湯船につかりアロマを焚いたので、

最低限に抑えられたのでは、と感じます。

 

また他の例だと、

私は友人との会話で、あ、それはそういう意味じゃないけどな、とか

あ、この話なら私詳しいぞ、とか時々むきになるというか、

主張したくなる時があるんですね。

でもそれって人の認識を訂正したいだったり、正しく理解されたいだったり、

私の方が詳しい事を伝えたいだったり、

いろんな期待、欲求が隠れてる反応なんですね。

もしその欲求、期待が満たされない時、また私はもんもんとしたりするわけです。

なので、ぐっと主張したい波が胸の中に湧いた時、

全ての理解が正しい必要はないな。

授業ではなくて楽しい雑談をしている中で、わざわざ訂正するほどの事ではないな。

自分の知識をひけらかす事より、今はこの穏やかな時間を楽しみたいな。

そんな風にすると、伝えたい!そんな強い感情が無くなっていきます。

これでいいか、そんな風に思えるんですね。

 

こんな風にして、振り返ってみると上手く自分の心と向き合えている自分

なのですが、なぜか達成感とかはなく、

むしろ振り返るまで、出来ている自分に気付いてないんですよね。

なんでだろうなあと思いました。

折角上手に出来ているのに、振り返りをするまでは、

一体ちゃんと上手く出来ているのだろうかと悶々としてるんですね。

どうして上手く出来ている事に、その都度気付けないんだ?

と考えたわけです。

そして、あ、思考が働きすぎていて、今ここ、が見えていないからかな。

そう思ったんですね。

例えば家のカギ閉めって、半ば無意識に機械的にやっていますよね。

家を後にしてから、あれ、どうだったかな?って思いますよね。

でもいざ家に帰ると鍵はしまってる。

つまり、ちゃんとできていても、思考があちこちに飛んでいて、

今ここに意識がないから、出来ている事に気付けないわけです。

 

そして私は改めて、今ここにいることをもっと集中的に鍛えようと試み始めました。

外をお散歩している時、思考はあちこち飛び回ります。

さっきのご飯美味しかったな、あの会話面白かったな、

あの話は不快に思ってないといいな、明日はあれをしよう、

あの子は元気だろうか。あっちこっち錯乱してます。

そんな自分に気付て私は、今ここにいるために、

歩いている時に目に見えるものを一つずつ唱えていきます。

人がいれば心の中でいいです。

草、お花、木、太陽、空、道路、石畳、自転車、人、子供、

草、お花、池、お家、ガーデン、椅子・・・

そんな感じに唱える事に集中していると、

思考の錯乱状態を緩めることが出来ます。

例えば人を見て、こんなあったかい日にダウンなんて暑くないかなあと、

思考がまた違うところに行ってしまったら、

また唱える事に集中しなおせばいいだけです。

草、道路、橋、マンション、自転車、車、ドア・・・

そんな風にしていたら、これは上手くいきそうだぞと感じる事が出来ました。

 

そして夜のヨガでも、細かく自分の行動を唱えていきました。

息を吸う吸う吸う吸う、吐く吐く吐く吐く、

足を立てる、立てる、立てる・・

そんな感じに一瞬一瞬を意識して集中しました。

そうすると思考が静まる感覚がありました。

いわゆるヴィパッサナー瞑想ですね。

 

これは本当に長く続けていく必要があって、訓練だなあと思います。

ゆっくりゆっくり、思考があちこち飛ばない状態が普通、という状態に持っていく。

焦らずですね。

 

今1点に集中する。

しばらくは、この一つに集中してマインドフルネス進めて行こうと思います。

 

皆さんの心が安らかでありますように。

Rea🐈🍷

意地悪な言葉は私をすり抜ける

こんにちは。

今日も今日とて心と向き合っています。

 

前回のブログで、リフォームの事を考えてストレスになり、

リフォームはしない!とゼロに戻った私ですが、

そこからは、今の自分に出来る範囲で、お金、体力、ストレス含め、

もっと素敵なお家にならないか?と考えたところ、

自分でなんとなく黄ばんでいたドアのペイントをしてみました。

それだけでぐんっとお部屋の雰囲気が変わり、印象が変わり、

波長が変わったように感じました。とても素敵になりました。

何か家具を買ったり、部屋がガラッと変わった時に、デザイン的には合っているのに、

なんとなくの違和感と、なじむまでに数時間かかる感覚がいつもあります。

私はこの現象は、家具同士または家がその変化、新しい家具に合わせて、

皆で波長を調整しているんじゃないかなあと思っています。

その間に、波長が合わなくなったものは壊れたり、

私に無意識に捨てられていたりするんじゃないかなあと思います。

メルカリのようなサイトで出品していたデスクも、

なんだかずっと上手く売れなかったのに、突然明日引き取りに来ることになりました。

不思議なものですよね。

 

ちょっと前置きが長くなりましたが、

最近の心は、上手く心の動きを観察出来ていたり、出来ていなかったりです。

目の前で起きている事に呑まれすぎると、イライラが湧きますね。

この感覚は、悲しい映画に入り込みすぎて、

当事者かのように涙が止まらない感覚に似ています。

映画も、今の前で起きていることも、一歩引いて、

これは映画である、こんなことが起こっている、そう俯瞰できると、

湧き上がる感情に気付くことが出来ます。

気付けると、私が主導権を握ることが出来ます。

この感情をどうするのか、決めるんですね。

 

ただ、ほとんどの人が自分に起きてることを

俯瞰するのは難しいと感じると思います。

私が感情に呑まれているそんな時、意識的に唱える言葉があります。

”私は空間である”です。

何かイライラする事を言われた時、悩み事が頭から離れない時、

私はただの空間の一部だ。そう思うと、

人の意地悪な言葉、態度が私の体をすり抜けていくような感覚があります。

悩み事がこの空間に散っていく感覚があります。

 

人間が空間?頭おかしくなったんか?と思いますよね。

私は色んな本を読んで、どの本だったかは忘れてしまったのですが、

人間の意識とは何か、どこか、そういったものを科学的に証明しようとしたが、

出来なかったといった内容の本を読んだことがあります。

その実験は確か、粒子物理学を元にしたものだったのですが、

この世に存在する者、物、全ては粒子で出来ている。

これは人も例外ではない、とこの本では言っているんですね。

ちょっと具体的にそれを説明する事が、忘れてしまって出来ないのですが、

全てのものは粒子の塊。

つまり、その塊をこれ以上分解できないところまで分解すると全て粒子になる。

吸っている空気、壁、壁にかかってるポスター、ソファー、

ソファーに座ってるいる私。全部、粒子。

空間を綺麗にすることは、私を綺麗にすることになる。

こんなニュアンスの事は日本人なら言われたことがあるかもしれないですよね。

部屋の乱れは心の乱れ、類は友を呼ぶ、波動の一致とか。

粒子の振動は共鳴しあいます。

なんとなく、全ては一体であることを感覚的に感じられるのではと思います。

 

なので、嫌なことが起こった時、嫌なことを言われた時。

私という人間でいると、解決しなきゃ、言い返さなきゃ、

そんな気持ちになるけれど、

私を私という空間だととらえると、私がどうにきゃしなきゃというよりも、

そっか、そんな事が起こった、そんな事をこの人は言った。

というように、平常心を保つことが出来るような感じがして、

私はいつもこの言葉を唱えています。私は空間である。

 

その本が真実かどうか、真相はどうでもいいんですね。

ただ、私自身が救われる言葉であれば、全部活用する。

 

私は空間という言葉は、嫌な物からすり抜ける事も出来れば、

お家を綺麗に保とうという気持ちも芽生えるので、

私的には一石二鳥、いや何鳥?という感じです。

 

お、これは使えそうだと思う方がいれば、

是非唱えてみてください。

私は空間。人の意地悪な発言は私をすり抜ける。

 

皆さんの心が安らかでありますように。

Rea🐈🍷

ストレスは定期的に置く

こんにちは。

今日も今日とて心と向き合っています。

 

昨日今日と、のんびりすごしていました。

街の中で出会う人たちはみんな素敵な人たちで、

なんとなく自分が調子いいのがわかります。

引き寄せているというか、自分と同じ波長の人が現れますからね。

 

のんびりしていると、いろんなことに思考を巡らせてしまいます。

昨日はキッチンのリフォームをしたいなあなんて。

長い事ずっと思っている事ですが、家の購入とコロナ明けの旅行で、

リフォーム出来たとしても、その後も安心できるほどの貯金の余裕がないので、

目標貯金金額を決めて、それまではリフォームについては考えない、

悩み事、執着を増やさないという考えのもと、

こう決めたのが半年くらい前ですかね。

 

でももともと家の間取りや、海外セレブの家紹介や、Youtuberの新居紹介

と言った類の動画を見るのが好きなこともあり、

定期的にキッチンリフォームが頭をよぎってはいたんですね。

昨日はどうせなら、理想をキッチンをデザインしよう!

そんな気持ちでわくわくと、オンラインのサイトでデザインを始めました。

2,3時間夢中になって、あーでもないこーでもないとやっているうちに、

わくわくというより、いらいら、そして疲労感を感じてきたんですね。

んーなんだろうこれ、と思い、一旦休憩して、

心の声を聞いてみました。あまり反応がないんですね。

でもきゅーっと締め付けられてストレスを感じてる感じ。

その締め付けから抜け出せない感覚が体にありました。

この感覚は去年の秋に燃え尽き症候群になった時にも、

感じていた感覚だなあと思い出していました。

 

私の憶測ですが、キッチンのデザインに夢中になった私は、

思考を使いまくっていたので、思考の渦の中にいた。

なので、心の声は聞こえない程になっていた。

またデザインを考えるだけでなく、現実的な心配も同時にしていた。

こうしたら配線は大丈夫なのか?

こんなのが欲しいけど、こういうのがあるキッチン屋を探せるのか?

そもそもキッチン屋はどこにあるんだ?

壁も床も壊されるのか?

リフォームの間猫ちゃんはどうしてたらいいんだ?

こんな考えてもわからない心配事を知らぬ間に延々と考えていたんですね。

そしてその結果ストレスとなり、

心がキューっとすることで、もうやめて!と訴えていた。

 

私はずっとデザインについて考えていたい思考を振り切りながら、

やめよう、これは良くない、考えるのを一旦やめようと言い聞かせました。

そしてこのキューっとした胸のストレスを解くにはどうしたらいいだろうと、

自分の思考を覗きました。

すると、先ほどの心配事がわんさかでてきましたので、

リフォームを進める事を想定している思考そのものがストレスだと感じました。

なので私は、リフォームはしなくていい、これでいい、このキッチンは十分だよね。

リフォームはしない、リフォームはしないよ。

これらの心配事を考える必要はない。なぜならリフォームはしないから。

そんな風に自分の心に伝えていると、

ゆっくりゆっくりキューっとした感覚から解放されていきました。

心配しなくていいんだ、そう心が安心してくれたんだと感じました。

 

以前、燃え尽き症候群になる前に、この締め付けられる感覚を感じてた時、

今回のように気付くことなく、締め付けを緩めてあげることなく、

多分1、2か月以上この感覚を持ち続けていただろうなと思いました。

 

そして思い出したとある教授の言葉がありました。

”この花瓶の重さはどれくらいかな。水も花も入ってるから1キロくらいとしよう。

その花瓶をほんの一瞬持ち上げる時、何か問題がありますか?ないよね。

ではそれが5分だったら?ちょっと重たくなるかもしれないけど、

まだ大丈夫かな。じゃあもし、1日だったら?腕が震えて感覚がなくなる?

花瓶の重さは何も変わってない、

それなのに感じ方が変わるのは、こちらの状態の問題だ。

これはストレスと同じ。置くんだよ。定期的にその花瓶を置けばいい。”

 

ストレスを感じない人生はない。

それでもちゃんと心をストレスフリーの状態に一瞬でも、

一日に一回でもしっかり戻してあげられれば、

健全な心の状態は保っていける。

腕が震えて感覚がなくなる状態を避ける事が出来る。

 

そしてそれを昨日の私は出来たんじゃないかと。

夢中になりすぎて、花瓶を長時間持っている事に気付けなかった。

でもキューっとする心の叫びを聞いて、気付くことが出来た。

花瓶を置くための努力をした。そして無事に花瓶を置くことが出来た。

 

夢中になるって素敵な事だけど、夢中になり過ぎるのは危険だなあと思いました。

冷静さを欠いているし、考えすぎになっているし、執着してる。

幸せのベースは安からな心。

忘れずに生きたいですね。

 

皆さんの心が安らかでありますように。

Rea🐈🍷

コントロールを手放す

こんにちは。

今日も今日とて心と向き合っています。

 

今日は夕方までとても順調でした。

頭はすっきりしていて、目の前の事一つ一つに丁寧に集中出来ました。

夕方から夜にかけて、一体何があったのが、ストレスを感じてました。

 

メンタルが改善していく時、日々順調に回復していくのではなく、

上手くいったり上手くいかなかったりを繰り返して、

全体的にみると、ゆっくり回復、改善しているというのが常だから、

上手くいかなくても焦る事のないように、と先生に言われています。

 

今日の夕方は、昨日メルカリのようなサイトで売れたお洋服を4つ発送しました。

4つもあったものだから、宛先を間違えないように丁寧にやるつもりだったのですが、

店員さんと息が合わず、少し混乱があったのですね。

また海外に住んでいることもあり、店員さんを信頼しきれておらず、

大丈夫だったかなもやもや、もんもんとしてしまいました。

悶々としながら、近くのお店で買い物をしていたので、

よし、もう一度行って今度こそ丁寧に、冷静に再度住所確認をしようと、

もう一度行くことに決めました。

多少、店員さんを不快にしかねないなと心配もしつつ、

いや、ここは心配事をなくすためにも、行こう!

そうして確認することが出来ました。

私は私のベストを尽くした。そう思えました。

 

ただ、ここの心配という感情を引きづったのか、

悶々としている間に色んな心配事があれこれと、すでに湧いてしまっていたようで、

家に帰るとなんだか落ち着かない時間を過ごしました。

具体的に何を心配しているのか、頭の中に具体的なものは浮かんでないのに、

心配な状態のままなんですね。

これはよくないと、今抱えている心配事を書き出そうと、

携帯のメモに一覧にして書いてみました。

頭の中でもやもやしているより、可視化して終わったら×していく方が、

頭が抱えるタスクが減って楽になります。

 

いざ一覧にしてみると、6個程途中になっているものがあり、

それぞれの進捗を確認しようと、それぞれ確認しました。

6個中2つは、返金を待っているものでした。

結構高額な返金を待っているので、なんだか落ち着かない気持ちでした。

ただ、私に今できる事はない。全て待ち状態なんです。

 

そんな中、以前賃貸で住んでいた、大家さん兼友達が、

ガス代の請求書を送ってきたんですね。

なんだか私は突然泣きたいような気持になってきました。

どうして、今このタイミングでこの請求なんだ、と。

私はなんとなく、私のお金への心配、執着が、

このメールを引き寄せたように感じました。

 

ここまでの流れ、おわかりでしょうか。

私はその都度その都度、思考を整理するための行動を取るよう努めてはいるものの、

頭の中で類似事項を手繰り寄せて、

連鎖的にずっと心配事をしている状態なんですよね。

住所はあってただろうか→なんだか色々心配だ→心配事を一覧にしよう→返金がない

→お金が心配だ→請求書が届く→もうやめて涙

このような思考の連鎖に、冷静なつもりで、飲み込まれていたんですね。

 

理想的なのは、住所はあってただろうか?のタイミングで、

私は再度確認した、私の出来る事は全部やった。

後はなるようになる。私に心配事はない。

最善を尽くして天命を待つ。

ここまで気持ちに句読点を打てていれば、

その後の流れは発生しなかったと思うんですね。

 

ここで思い出したい言葉は、コントロールを手放す、です。

私は沢山の事をコントロールしようとしてる。

店員さんが発送ミスをしたかもしれないこと。

返金がされないかもしれないこと。

その他諸々の心配ごと。

これら全ては、私の手の内にない、私が手を打てる範疇にないわけです。

でも、それすらもコントロールしたい、

コントロールしようとしているから、心配するという状況になるんですね。

ガス代を請求される事も、

しないで!と言っても、今月はお金ないからやめて!と言っても、

どうにもなりません。なぜなら大家さんの決める事だからです。

 

今もろもろの心配事を抱えている私が、

コントロールを手放すとどういう思考が出来るでしょう。

発送先が違う可能性はあるかもしれない。でも仕方がない。店員さんも人間だ。

買い手には怒られるかもしれない。でも私は私のやるべきこと全部やった。

悲しむ必要はない。人間に失敗はつきもので、今回の場合は私の失敗ではない。

返金プロセスをするのは相手で、私ではない。もしかしたら忙しいのかもしれないし、

見落としているのかもしれない。でも、私にわかることではない。

あまりにも遅ければ問い合わせるが、今はただ今あるもので生きて行けばいい。

ガス代は私が支払うものだ。

大家さんはお金に困っている私に意地悪をしたわけじゃない。

ただ必要な手続きをしただけだ。ガス代を払うのに十分なお金はある。

払えばいいだけ。ガスを使わせてもらってありがとうございました代、なのだから。

 

こんな感じですかね。

心配事が頭から離れない時は、コントロールを手放すという意識を持って、

今私は何をコントロールしようとしてて、

そもそもコントロール出来るものなのか?

というのを一度考えてみると、

悩んでもどうしようもないものに悩んでいる事に、気付けるかもしれないですね。

 

皆さんの心が安らかでありますように。

Rea🐈🍷

自分の感情たちの声を聴く

こんにちは。

今日も今日とて心と向き合っています。

 

今日は少し頭の中が騒がしいので、ここで整理したいと思います。

軽く瞑想をして、思考を覗いてみます・・・

(結果的に、先生にカウンセリングされている時のような内容になりました。

慣れない人には少し不思議な内容になっているかもしれません。)

 

今日はお洋服の断捨離をしたもので、

昨日とはまた別のメルカリに似たアプリに洋服を投稿したんですね。

7着ほぼ同時に投降したものだから、

問い合わせがせわしなく入り、対応しながら、

と同時に購入していただく方もあり、そちらへの対応もこなし、

かつ皆さんの反応の良さや、私の洋服をお気に入りに入れてもらえる楽しさで、

思考が興奮状態に入った、と考えられます。

思考の興奮状態は、呼吸を落ち着かせ体と一緒に思考も落ち着かせるようにします。

 

この断捨離投稿の一連の動きの中で、一つ自分の中で気になる感情がありました。

購入していただいた途端、私の中で異様な焦りを感じたんですね。

急がないと、急いで発送しないと。

ちゃんとラベルは印刷できるかな。

ラベルが印刷不要のものは初めてだけど、ちゃんと出来るかな。

ちゃんとやらないと、悪い評価をされてしまう。

という感じ。

急げ、ちゃんとしろ、評価。この3つがグルグル頭の中で回り、焦るんですね。

 

人のために、ちゃんとする。

その結果私は良い評価を貰える。

 

これが私の中にあるロジック、ルール、世の中の法則、なんでしょう。

もしアプリに評価という機能がなかったら?

私はもう少しリラックスしてると思います。

すぐにでも!というよりは、2,3日以内に送れば十分だろうって

きっと思うと思います。

特にこういうアプリは知らない人相手ですから、結果だけが評価対象なわけです。

この異様な焦りは仕事でも感じるんです。

まさか、このアプリで同じ感情を感じるとは思ってもみませんでした。

私が向き合うべき、私の中のシコリがここにはあるはずなんです。

 

心理内科の先生に、心の中にいる色んな感情の小人たちと会話をするようにと

アドバイスされています。

それは、ディズニー映画のインサイドヘッドと同じ考え方です。

人の中には、それぞれの感情の小人がいて、普段は調和を保っている。

でも思考の癖や、認知の歪みが発生した際に、

その調和が乱れ、どれかしらの感情が不満を訴えていたり、

悲しんでいたりするから、私自身がみんなの話を聞いて調和を取り戻すよう

取りまとめてみて。簡単に言うとこんな感じのアドバイスです。

 

私の中には勿論様々な感情の小人がいますが、

その中でも、厳しいReaちゃん(先生がそう呼びます)

が現場を取り仕切っている事が多いです。

今回もこのReaが、急げ!ちゃんとしろ!間違えるな!面倒をかけるな!

そんな風に私を急き立てていました。

厳しいReaちゃんと話をしてみます。

”どうしてそんなに急ぐの?”

”相手が待ってる。待たせてはいけない。”

”どうして待たせてはいけないの?”

”文句を言われたら困る。悪い評価も付く。”

この文句、評価という言葉に、怖がりReaちゃんが反応しました。

”文句を言われるのは怖い、嫌。人との対立は避けて。”

”そっか、怖いんだね。そりゃ怖いよね。”

 

つまり、この怖がりReaちゃんを守るために、

厳しいReaちゃんが切磋琢磨、私の尻を叩いていたようなのです。

 

心療内科の先生は、厳しいReaは私の成長過程の中で、

その時必要とされて生成されたキャラクターで、私を守り続けてきた。

多分小学校後半から中学にかけて。

でもその子は、私がもう立派な大人になっているとことを知らない、と言います。

だから必死に私に代わって、尻を叩いて今も守ってるつもりでいる、と。

でも大人になった私は反射的に自分の尻を叩き続け、

その焦りという感情がストレスになっている今、

厳しいReaにもう私は大丈夫なんだよってことを教えてあげる必要がある、と。

 

私はその2人(厳しい、怖がり)と話をします。

”人に怒られるのは怖いね。文句も怖い。怒ってる顔も怖いよね。

今までの私は自分が悪かったんだって反省して、悲しくて、怖かったよね。

こんな自分でいいんだって思えなくて、自己否定ばっかりしてたよね。

ごめんね。怖いよーって声をちゃんと聴いてあげられてなかったよね。

厳しいReaちゃん、いつも守ってくれてたね、ありがとう。

でもね、これからはちゃんと私が聴く。私の怖がってる声。寄り添う。

小さい頃はいつも怒られてたね、親に、先生に。

でもね、もうそう簡単に怒る人達、私の周りにはいないんだよ。

確かに会社でミスをしたら注意されるかもしれないけど、怒ってはいないんだよ。

怒られると自分の価値がないように思うよね。

でも、怒られても、親が上司がどんな評価を私に下したとしても、

私の価値は何も変わらないんだよ。

どんな文句を言われても、どんな悪い評価をされても、

私の人間の価値は太陽と同じ。それが真実だよ。

今日は太陽が見えない!とか、今日は暑すぎ!って、

どんなに文句を言ったとしても、太陽の価値を皆知ってる。それと同じ。

だからそんなに怖がらなくていい。怖い時はいつも私が寄り添うよ。”

 

こんな風にしてお話をしていると、2人とも穏やかになって行くのがわかります。

厳しいReaちゃんが取りまとめていた、小さな私の小人たちを

ゆっくり今の私が引き継いでいく。

厳しいReaちゃんはこれまで一生懸命私を守ってくれたから、感謝を忘れず。

勿論社会で生きていくために、あなたは必要なんだから、

これからも宜しくお願いしますね。お手柔らかに。

 

皆さんの心が安らかでありますように。

Rea🐈🍷

 

怒っていい、必要が無くなったら仕舞うだけ

こんにちは。

今日も今日とて心と向き合っています。

 

さて、毎日色んな事が起こりますよね。

予定もなく家にいる日でも、携帯やSNSがある限り何かしらの感情が起こります。

 

今日は日本でいうメルカリのようなところで出品したものを

買い手の方が取りに来る日でした。

私が出品したのは、大きすぎずかといって小さくはない家具でしたので、

多少買い手の方がちゃんと持って帰れるのかな、と心配しつつ待ってました。

すると、キャンセルしますと今朝メールが来たんですね。

んーーーーーー、怒です。

当日の当日ですからね。

 

こういう時に私含め、マインドフルネスを学んでいると、

ネガティブな感情が湧く事自体が、悪い事だと思う傾向にあり、

感情を止めようとしたり、感情を否定したり、

そんな自分をだめな奴だと否定したりしてしまう事があると思います。

 

そんなことをしてはいけません。

感情を許してあげましょう。感情にだって権利があります。

私の体からあふれ出る感情を否定するという事は、私を否定するという事ですから、

感情を許して感じましょう。

当日キャンセルなんて、何それ、非常識だ、失礼だ、無礼だ。

こんなに準備したのに、確認したのに、

当日にキャンセルなんて人としてなってない。

怒り!!!!

メラメラと湧き上がった怒り、怒りを感じている体の箇所にじっと意識を向けます。

私の場合は熱くなった胸の内側でした。

感情はエネルギーです。

それ以上思考を膨らませずに、じっと感覚に意識を向けていると、

10秒くらいすると、ふっと強い感情から抜けだします。

感情がエネルギーであることを実感する機会になります。

そして思考が感情を生み出していることも、わかると思います。

 

強い感情から抜け出すと、冷静な思考を取り戻すので、

改めて今直面してる事実と向き合います。

当日にキャンセルされたことは事実です。

冷静さを取り戻しつつも、買い手に伝えるべきことは伝えます。

「このような不誠実な対応は受け入れられません。

私は注意事項を伝えたうえで、本当に購入希望なのか、確かに確認しました。

その上であなたは購入を希望した。無責任であり、大変迷惑な行為です。」

こんな風に文章を書くと、また思考を使っているので再度怒りを感じます。

その時はまた、感情を感じる場所に意識を移し、抜け出すのを待ちます。

 

実は、以前マインドフルネスが上手くいっていた時に、

バランスを崩し始めたタイミングに、私は気付いていました。

それは、店員さんのミスに対して、反論のようなものを行った後からです。

どうしても、人と対峙することに苦手意識があり、罪悪感、後悔、自己嫌悪、

でもやっぱり私は悪くないのにとか、そういう葛藤を後々引きずっていました。

 

その割には、今回も大分はっきり文句を伝えたのでは?と思われますよね。

これは心理内科の先生に教えてもらった、仏教徒の話です。

ある時、曽呂とその弟子たちは船に乗って移動するのですが、

当時船には、仏教徒専用のスペースがあったそうです。

ただ曽呂がいざ座ろうとした時、すでにそこには一般の人が座っていたようで、

曽呂はけしからんと怒り、注意したそうです。

曽呂の怒りに驚いた弟子たちは、

「今お怒りになられましたが、よろしいのですか?

いつ何時も心穏やかに過ごすものではないのでしょうか。」と尋ねたそうです。

曽呂は「怒ってはいけないとは言っていません。必要なくなったら仕舞うだけです。」

 

怒ってはいけないと、自分を縛り、常に監視している状態はマインドフルとは

言えませんよね。

自分の怒り、もまた肯定していいわけです。

ただ使い終わったら、すっとポケットに仕舞う。

ずるずると怒りをぶら下げてはいけません。

 

このような話を聞いて、確かに私は自分の怒りを否定し、自己否定していました。

和を重んじる日本では、怒りを表現するより、人を許して何も言わない方が

楽だと感じる人も多いと思います。私もその一人です。

私の以前のマインドフルネルは、人を許すマインドフルでした。

その結果、許しきれず自分が反論した時に、崩壊したのです。

反論した自分を許してあげられなかったからです。

次のマインドフルネスは、その二つのバランスが肝になるだろうと思っています。

 

人の苦労を想って、許すものは許す。違いを受け入れる。

伝えたいことは伝える。伝えたらその感情は仕舞う。

この二つのバランスです。

 

大変迷惑だったと伝えた私は、再度怒りの感情を感じましたが、

感じきり、そして仕舞いました。

仕舞う時は腕の見せ所です。

いつも通りの思考では、ずるずると怒りを引きずり、ポケットにしまったはずの怒りを

取り出そうとする右手と、抑えようとする左手で葛藤するのです。

私は変わるのだ、その決意が仕舞わせてくれるだろうし、

私は今この一瞬を懸命に生きる、その意志が仕舞わせてくれるだろうし、

私は人に嫌われることより、自分の感情を認め肯定する、という気持ちが

その怒りを仕舞わせてくれるんです。

 

仕舞った後の私は、よし、この家具はもう少しうちに居たいようだ。

素敵な人が現れるまでここに居たらいいよ。

そんな風に思って、また受付を始めた、というところです。

 

怒ってる自分も、怒っていいんだよって許して認めてあげる。

怒ってる自分も、愛してあげる。

怒ってる自分を愛せるのは自分だけですからね。

 

皆さんの心が安らかでありますように。

Rea🐈🍷

鬱からの脱却はゆっくりゆっくり

こんにちは。

今日も今日とて心と向き合っています。

 

ご無沙汰しています。大分ブログが更新できていませんでした。

というのも、11月に燃え尽き症候群になり、

自分なりに出来る限り自分に向き合ってきたのですが、

ブログを書けるほど思考もまとまらず、荒れ放題で、

まさに書けない、という状態でした。

私という生きてきてから付き合い続けている人間が、

いつも同じではない、いつも変化しているんだなという事を実感します。

 

今回、もう私がおかしい、おかしくなったと自覚したのが昨年10月、

そしてまたこのようにブログを書けるようになるまで7か月程度。

以前、私が鬱を発症した2020年の2月から、

ブログ再開の10月まで8か月程度かかっていました。

一度マインドフルネスを失うと、復活し始めるまで、

このくらいの期間を要するのだなと知ることが出来ました。

人間なのでいつもいつもハッピーというわけには行きませんから、

また次回こんな風になった時も焦らず、8か月程度はかかるのだよと

ゆっくりゆっくり自分を癒していきたいですね。

 

さて、今回またまた思考が大暴れをし、不安緊張の中に溺れたのですが、

這い上がろうにも全然這い上がれませんでした。

以前の鬱の時代を、第一次鬱期、とすると、

第一次鬱期に効果をもたらしたあれこれ、が全然効力を持たないんです。

ノートを読み返したり、参考にした本を読み返したり、

自分なりに出来る事全部全部試したのですが、

全く緊張状態から抜け出せませんでした。

心も体も字のごとく余裕がなく、どんな小さなことにも反応し、

感情が瞬時に湧き上がり、怒り、悲しみ、そんな暴れる感情たちを

ただ経験するしかありませんでした。

何度マウスをベットにぶん投げたかわかりません(在宅ですw)

怒り、自己嫌悪、焦り、こんなに色々試してるのにどうして。

マインドフルネス時代の自分がいたことを知っているからこそ、

感情の荒波に中にいる自分に自己嫌悪、抜け出せない自分に自己嫌悪してました。

 

そして、やっと落ち着きを取り戻し、

今までのマインドフルネスが少しずつ効果を見せ始めている今、

ここまでのプロセスを振り返る必要があるだろうと考えます。

 

まず先ほども言ったように、一度鬱、燃え尽き症候群のように、

言い方は悪いですが、正気を失い、感情が瞬時に湧き上がり怒り、涙が溢れ出す。

理性が効かず、人前でも涙を止められない、怒りを抑えられない、

そんな状態にまで達してしまった時、

心のゆとりを取り戻すのには、7,8か月はかかるようだ、という事です。

この程度の期間がかかるという事を知っておくだけでも、違うと思います。

 

そして、そのようなどん底の感覚から抜け出すには、

何かしらの変化、アクションが必要である、という事。

これは私の例で行くと、

第一次鬱期、人前で大泣きした私が、今までと同じ生活を続けていても、

心の余裕は取り戻せなかった。

何によって心を取り戻すプロセスにゆっくりと向かっていったかというと、

コロナによる在宅ワーク。のおかげだったんだなと今回気付きました。

ピーンと張っていた緊張の糸が、ふっと緩み始めたんですね。

そして第二次鬱期、今回マウスを数回ぶん投げるほど怒りをコントロール

出来なくなった私が、何によって心を取り戻すプロセスに向かっていったかというと、

心理内科の先生による、トラウマ治療(目を右、左って動かすやつ)でした。

今回はすでに在宅ワーク中でしたので、別の変化が必要だったんです。

 

こういった大きな変化、何かしらの心への働きかけによって、

徐々に徐々に心がゆとりを取り戻し始める。

でも7,8か月かかるから、早々に変化は見られない、あくまで徐々にです。

このような何かしらの心のゆとりを取り戻すために、変化、働きかけが必要である、

という事が今回わかりました。

 

正気を失うレベルまで達すると、

同じ環境の中で、どんなに自分1人で立ち向かっても全く効果がないんですね。

緊張の糸を切る何かが、それが環境の変化なのか、心へ働きかける治療なのか、

その都度違うとは思いますが、何にせよ、何かしらのアクションが必要なんですね。

 

今心のゆとりを取り戻し始めたフェーズの私が、

第三次鬱期にはどう対応しようかと考えるのは変な話ですが、

第三次鬱期が来た時にも、ひとまず心理内科の先生の治療は、

有効であろうと考えられます。

ただ、この国の心療内科は治療を始めるまで半年待ちといった大行列状態なので、

そこが問題です…

あとはやっぱりお仕事をお休みする。

仕事は、仕事自体もそうだし、人間関係、問題発生と刺激が多すぎますから、

メンタルを整える時には絶対にお休みした方がいい。

あとなんでしょう。思いついたらまた書きますね。

 

後は、正気を失うレベルに達するまでに手を打つことですよね。

日々のマインドフルネス。

どうしても慣れてきて、調子が良くなってくると、さぼりがち。

今回の事を教訓に、もう一度日々自分の心を向き合う事を忘れず、

丁寧に生きて行こうと思いました。

いつも心の中にいる自分と会話をする。

心の中の自分が安心しているか確認する。

どんな自分も愛おしく思えるように。

自分を愛で満たしてから、溢れた分の愛を人に贈る。

まずは自分。

 

皆さんの心が安らかでありますように。

Rea🐈🍷