gluewineのブログ

HSPなReaです🐈🍷身も心も温まるシナモンが入ったあったかいGlue Wein🍷でほっこりブログ

心を整えるための冒険

こんにちは。

 

前回書いた心をニュートラルに保つ基礎、というブログに書いたステップですが、

自分なりに日々実践していて、上手くいっているなあという感覚があります。

パニックは収まって、また基礎から土台を作り直している感覚です。

人間なのでね、上手くいく時行かない時ありますから。

がっかりすることじゃないんです。これが当たり前です。

基礎を作って崩れて、また基礎を作る。これを繰り返せばいいんです。

それでもその基礎は前回より強固だし、前回があるからこそ早く組み立てられる。

また上手く行かなかった・・じゃなくて、それでも前に進んでることを

忘れないといいですよね。

 

心って常に反応してるんですけど、

心の反応に囚われなければ、その反応は自然と湧いては消えていく。

それが心の機能なんですよね。

ただ人って心の反応に基づいて思考が働いて、不安とか恐怖と共に

その反応に囚われる。

だから本当は消えていく反応を自分の意志で引き止めちゃってるんですよね。

反応に気付いたら、ただ眺める、認める。

そういう機能なんだとわかれば、囚われる気持ちも無くなっていきます。

 

ちなみに前回のブログで書いた心をニュートラルに保つ基礎はこちら。

 

心と向き合う目的:苦しみのない心のため

1.心はそもそも同時に多くのものに反応するのは過労働、一つにのみ使う。

2.心を見張り、反応に気付き、怒りという道具を使わない。

3.感じた感情は都度流す。

4.あるものをあると理解するだけ。判断、想像をしない。

5.課題の分離、他人の課題は切り捨てる。

 

そもそもこのご時世、1がまずとても難しいんですよね。

私たちにはパソコン、携帯、テレビと沢山の娯楽を与えられてて、

テレビを見ながら携帯をいじり、ご飯を食べながらテレビを見る。

本当はこれだけで、心は爆発しそうなくらい目まぐるしく反応してるんですよね。

理想は、テレビを見てる時はテレビのその娯楽を存分に楽しむ。

ご飯を食べてる時はその食感、味覚を存分に楽しむ。

それが幸せの基礎でもあります。

でも幸せをはき違えた現代人の私たちはそんなのじゃ満足いかない。

でも満足いかない人はそれでいいんです。

その複雑な心を世界を楽しめばいいんです。

ただ私のように、その世界に疲れた人は、

意志を持って、決断のもと、ちょっとつまらなそうに見える、

でも心地よさそうな世界に一歩踏み出してみる。

 

そんな世界に踏み出す中で、私は3つのジャンルを学びました。

仏教、心理学、スピリチュアル。

キリスト教などのその他宗教の知識も入れましたが、

仏教以外は神様ありきなので、今更信じ切るのは難しいのでやめました。

以前はスピリチュアルに傾倒しすぎて、再度パニック状態になったと感じています。

でもこの3つを上手く、バランスよく融合するのがベストじゃないかと、

私個人的には思っています。

私の思う、メリットデメリットを書いてみます。

 

仏教

メリット

思考のコントロールのノウハウを教えてくれる。

科学や心理学では解明できない頭の中の騒音や、理由のない焦燥感、

不安といったものを理解し、ノウハウを教えてくれる。

科学者たちも仏教徒の思想によるマインドフルネス効果を認めており

研究が進められている。ロジカルで実用的。

デメリット

社会で生きていくには感情がなくなりすぎる。

ブッダによる気付き、教えに基づくので、抵抗感がある人もいる。

(神というより、仏教徒というようにブッダを先生だと思えばしっくりくるかと)

 

心理学

メリット

学問に基づくので安心感が強い。

様々な種類、発想の心理学者がおり、自分に合うものを選べる。

デメリット

無機質。

仏教やスピリチュアルのように科学では証明できない人間の不安に

寄り添ってくれる感じがしない。

 

スピリチュアル

メリット

宇宙から来た魂というストーリーに安心することが出来る。

対人との向き合い方を改める発想が出来る。

自分の声に耳を傾けるようになる。

デメリット

傾倒しすぎると現実離れをする感覚がある。

引き寄せの法則など、逆に執着、期待に繋がりがち。

 

以上が私個人の感想です。

それぞれジャンルの中に多数の宗派があり、全部はカバーしてません。

あくまで私が個人的に読んだ本をベースにした感想です。

これを見ると、なぜ私が3つをバランスよく融合するのがいいと言ったのか、

わかってもらえるのではないでしょうか。

 

 

私のニュートラルに心を保つ基礎はすでに仏教とアドラー心理学の融合です。

心と向き合う目的:苦しみのない心のため

1.心はそもそも同時に多くのものに反応するのは過労働、一つにのみ使う。(仏教)

2.心を見張り、反応に気付き、怒りという道具を使わない。(仏教)

3.感じた感情は都度流す。→これが眺めるということ。(仏教)

4.あるものをあると理解するだけ。判断、想像をしない。(仏教)

5.課題の分離、他人の課題は切り捨てる。(アドラー)

 

これをやりつつ、実は2で気になる点がありました。

反応に気付く。例えば、お、緊張したな、不安を感じてるな、傷ついたな、

怖いと思ったなと気付きます。

仏教の場合、それが思考の仕事ですから、そのままに。眺め、消えゆくのを待つ。

そしてその反応はやがて薄れ、反応をしなくなる、私に影響を与えなくなる。

それが何年後の話なのか分からないのですが、これをスピリチュアル的にみると、

スピリチュアルにはアク抜きという方法があります。

心のブロックを外すものです。

例えば、緊張したのであれば、なぜ緊張したのかにフォーカスします。

プレゼンであれば、上手くやならきゃいけない、出来る人と思われなきゃいけない、

これがブロックです。

上手くやる必要はない、失敗していい、ありのままでいい。

こうやって、反応に気付いて対話して、

ブロックを外していくのがアク抜きなんですね。

仏教とはアプローチの仕方が違うものの、

緊張という反応を弱める、ゆくゆくは無くしていくための方法です。

仏教の方がロジカルで、スピリチュアルは自分との対話という印象ですね。

どの方法が自分に何が合うか、それが大事なんでしょうね。

 

この1-5を今後も試しつつ、強い反応を感じた時には、

スピリチュアルの力をお借りして、アク抜きもやって行きたいなと思います。

まだまだ試行錯誤。1ミリずつ進めばいい。

 

皆さんの心が安らかでありますように。

 

Rea🐈🍷