ミスを隠ぺいしたっていいじゃないか
こんにちは。
今日は冷静に昨日の自分の失敗と向き合ってみて、
面白いな~と思いました。
というのも、最近私は私以外の人に対して、
大きな心で愛を持って、許す、認める、
そんなことが出来るようになっていました。
どんな無理難題であっても、上手に感情を消化し、
その人達に対しては、自分の好きな自分でい続けることが出来てました。
うんうんいい感じ良い感じ、学びが知恵となっている。
そんな風に思ってるさなかの失敗。
失敗は誰でもないこの私がしたものです。
人を許す、認める、受け入れる事が出来ていた私が、
私の失敗を許す、認める、受け入れる事に苦戦する。
きっとそれを気付かせてくれたんでしょうね。
人ばっかりじゃなくて自分も許すこと。
自分が失敗したりしないと、自分を許すという経験は出来ないですから。
楽しい毎日を送ってると、自分を許すという作業を知らずに終わってしまいますから。
やっぱりいい経験だったんだなって思いました。
そして事実を整理して、自分の失敗が大事じゃない事はもう理解できてるんですね。
昨日のブログでも書いたように、失敗を前向きにとらえてる。
それでも、定期的に頭をよぎっては胸がキュッと締まる。ストレスです。
これは思考の癖と、トラウマなどの古い記憶から来るんでしょう。
そう思いました。
私の幼少期、私の親は若くヒステリックでしたので、
どんな小さなミスもただで許してもらえたことはありません。
小さな一つのミスでもあっても、過去のミスや私の人格を持ちだして、
数時間にわたりヒステリックに否定され怒られました。
それがトラウマなんでしょうね。
だからミスをしたらまず隠ぺいしたい気持ちになるし、
バレた時の事を考えずにはいられない。
そんな事が幼少期にはありました。
人格を否定される前に自分で自分を否定し、(その方が楽になると思ったから)
隠蔽したことへの罪悪感を抱え、
バレた時の恐怖に怯えました。
そりゃー失敗が失敗でなく、失敗が恐怖にもなりますよね。
でも大事なのは、私はちゃんと自分のミスが大事でないと理解していることです。
つまり幾度となく頭をよぎる漠然とした不安は、ただの思考の癖なわけです。
この癖にまんまとハマって、ずっと不安を抱えているのはナンセンスですから、
このループ、癖の回路から抜け出せばいい。
何か私にぴったりに言葉はないだろうか、
そんな思いでネットサーフィンをしてみました。
とても気に入った言葉が見つかりました。
ミスを隠ぺいしたっていいじゃないか、人間だもの。
いいですよね。
私は隠蔽はしていませんが、タイミングが悪くチームに共有出来てなかったのが
結果隠蔽になってしまっているようで、やましい気持ちが後から生まれました。
誰だってミスをして怒られるのなら、隠蔽したいですよね。
小さなミスの隠蔽の1つや2つありますよね。
皆同じ気持ちなんだな~って思って嬉しいです。
わざとミスをする人なんていない。
これもいいですよね。本当にそうです。
ミスって責められるべきものじゃないですよね。解決すべきものです。
私は幼少期に責められすぎて、今の会社の人たちはとってもいい人なのに
トラウマゆえ、言いだすタイミングを最後まで逃した気がします。
私が思ってるほど人は私を責めないし、事は大事じゃないってことですよね。
小さなミスも数時間にわたって怒られてたので、
小さい大きいの判断がつかないんだなあと思いました。
もしお子さんがいる方は、どんなミスも責めるのではなく
解決する方法を教えてあげて欲しいなって思います。
ミスを怒られるといつしか人は隠蔽に走ります。
だって人間でいる限り、ミスがなくなることはないんだから。
どうせミスをするなら、ミスをした自分を責めない子になってほしいです。
ミスを反省するなんて古いです。
ミスをするのもありのままのその子、ありのままの私。
ミスをする自分も愛せるように。
自分の新しい思考の癖を見つけた、そんな今回の失敗でした。
いつも苦しそうな人を見て、心の中で唱える言葉を今日は自分に。
Reaの心がいつも安らかでありますように。
Rea🐈🍷