なんでもいい、というポジティブな諦め
あれから色々ありました。勿論コロナを含めて。
メンタル面で言うと、いろんな物に救われました。
春夏が来たので、日が長くお天気がいいこと。(また冬の到来ですが…)
そしてコロナによる在宅勤務の定着。
勿論コロナ自体はいいものではありません。
ただコロナの影響で在宅勤務になったことは
人との関わりから異常にストレスを感じる私は、多少救われることになりました。
<なんでもいい>
あれからもずっと心と向き合い会話を続けてきました。
その全てを今ここで記すことは出来ないですが、
一つたどりつた言葉があります。
このところは、その言葉を常に心の中で唱えています。それが…
”なんでもいい”
一見ネガティブにも聞こえるこの言葉。
でもこの言葉、今の状態を受け入れるという意味では
これでいい、とか、そのままでいい、と同じだと思うんです。
ではこれら2つの言葉と、なんでもいい、は何が違うか。
自分に言い聞かせているか、手放しているかの違いだと思うんです。
これでいいと思えてない不安がある時に、
これでいいんだって受け入れる/言い聞かせてる。
これでいいと思えてない不安がある時に、
なんでもいいんだって受け入れる/手放している。
どうでしょうか。
不安は妄想です。妄想相手にどうにか納得して、安心しようとするよりも、
なんでもいいんだって諦めて手放す安心の方が、即効性があります。
私は、なんでもいいにたどり着いてから、よくしゃべるようになりました。
友達との雑談や仕事上でも、リラックスして楽しく話せる自分に少し戻れました。
なぜなら、どう思われてもなんでもいいから。間違ってもなんでもいいから。馬鹿な事聞いてもなんでもいいから。つまらない話でもなんでもいいから。皆が楽しんでても楽しんでなくてもなんでもいいから。皆が私のこと好きでも嫌いでもなんでもいいから。
今の私にとってこの言葉は呪文として、日々私の心を救ってくれています。
<不安からくる怒り>
そしてもう一つ気づいたことがあります。
私は仕事の中で見えない人に対して、怒りを爆発する事がたまにあります。
普段怒らないので、自分でも収まらない怒りエネルギーに驚くのですが、
私は今までずっとそんな自分のことを
見えない相手に横柄な態度を取る嫌な奴、なんじゃないかと思ってました。
なんて嫌な奴なんだ私は、とイライラする度に反省して。
でも最近自分の感情を観察してみて、
これは不安からくる怒りなんだなと気付きました。
見えない人、知らない人だから、どれほど信頼できる人なのか
仕事を安心して任せていい人なのかわからないから、
思ったことと違うことをされると、
やっぱり信用できない人かもしれない、という不安から、
その人に対して怒りという感情が芽生えてるんだろうと気付きました。
理由がわかる事で初めて対策がとれますよね。
次回からは怒りが湧いた時には、自分の不安をまず認めてあげる。
不安なのは当たり前だよね。
知らない人、文化も違う、どこまで信頼していいのかわからないよね。
ちゃんと仕事が期限内に間に合うか不安だよね。
そこで落ち着くことが出来れば、ここで相手に怒りをぶつけるのが間違ってる事は気付けるはずです。
<成果ではなくあり方を認める>
例えば、また上手く自分を落ち着けさせることが出来ずに
怒りの感情のまま相手と会話を続けてしまったとしても、自分を責めない事です。
上手く出来なかった(成果)としても出来る限りは尽くした(あり方)。
そんな自分を責めるべきではないんです。
もっと上手く出来たはずという発想はいりません。
成果を追い求めて満足は得られません。
自分はいつだって頑張ってることを自分が認めてあげましょう。
怒りをぶつけられた人はなんとも思ってないかもしれないし、
怒ってるかもしれないけど、”なんでもいい”んです。
<すべき事をして後は忘れる>
見えない人に対して怒りで会話してしまったとき、私はとても反省しました。
謝りたい衝動にかられますが、仕事上私がミスしたわけでもないので
謝るのもおかしいし、あちらの無責任な態度対応があったのは事実です。
ただ怒りで冷静ではなかったため、沢山の不安が浮かびました。
申し訳ないという気持ちと一緒に、自分のチームにクレームが来たらどうしようとか、そしたら上司にも申し訳ないとか、大げさな不安が押し寄せます。
ただ、ここで私に出来ることは次回は冷静に対応すること。
なので心と向き合いました。
次上手く行くかはわかりません。でも私はちゃんと心と向き合いました。
これで十分です。やるべきことはやりました。
あとは‘‘なんでもいい‘‘んです。どうにもならないことに執着しない。
切り替える事です。
Rea🐈🍷