gluewineのブログ

HSPなReaです🐈🍷身も心も温まるシナモンが入ったあったかいGlue Wein🍷でほっこりブログ

喜びという栄養を心に

こんにちは。

今日も今日とて心と向き合っています。

 

今日は二つの事について。学び、気付きました。

まず一つ目は、思考処理を強制終了する事。

Youtubeを見ていて、HSP関連の動画って多数上がっていますよね。

その中でも自分の中でピンとくるもの、来ないものとありますが、

脳・思考の仕組みがHSPではない人とHSPとではそもそも違う、

というロジカルな事を解かれると、私は結構しっくりくる傾向がありますね。

自分の思考処理に、まず、違和感を抱くことから始めないと、

無意識にネガティブな思考処理を脳に行わせてしまいます。

 

それが私の場合、一体どんな処理を日々しているかというと、

人と会話をしたら、その後その会話を無意識に頭の中で復唱し、

変なところはなかったか、変に思われなかったか、失礼なことは言ってないか、

相手が嫌そうな態度をとったところはなかっただろうか、と

厳しい目で自分を採点している感じがあります。

特に悪い事いてないのにクラクションを鳴らされた時も、

なんだったんだろうと何十回と回想して、相手の意図を探ります。

何か疑わしい点が見つかれば、反省したりして。

私はこの思考がずっと当たり前だったので、てっきり皆そうなんじゃないかと、

思ってた時もありました。

でもこの深い思考処理、私の場合は癖で強い自己批判も含まれてますが、

これはHSPじゃない人の脳では行われてない。

HSPじゃない人はさっきの会話や、さっきの食事会、さっきの出来事を

頭の中で復唱していない。

それに気付くだけでも、自分の思考がHSPが故、であることがわかりますよね。

という事がわかれば、次はどういう思考を自分がしたいか、になるわけです。

人と会話をするたびに失敗はしていないか、そんなことを考えながら生きるより、

終わったことは忘れて、今を楽しめる人でいたい。

だからこそ、思考を強制終了できるようになる。

強制終了してもまた自動的に回想が始まりますが、そのたびに止める。

だってそれはHSPという気質の仕業なだけで、本来の私、ではないから。

 

そして二つ目、いつもJoy、喜びに目を向ける事。

最近は毎度ブログに書いているように忙しくて、

この山を越えるまで耐え忍んでいる、そんな感覚が強くありました。

勿論、自分がこの超絶ストレスフルな状況の中、自分と向き合い、

怒りを爆発させることなく、着実に進めている事に自分への感謝があります。

ただ、この喜びという言葉、ちょっと忘れちゃってたなって思いました。

愛、自由、感謝、はいつも意識して心に留めていましたが、

喜び、はいつからか、うっかりすっかり、どこかに転がっていってました。

 

私は、ペットとして迎えた子猫の存在に日々ありがとうと伝えてました。

ただありがとうと言うだけでは、心がポッとなる感覚は正直ありませんでした。

ただ表現を変えて、子猫の存在に私は喜びを感じる。

子猫は私の毎日に喜びを運んできてくれる。

そんなふうに思うと、突然心がポッとなるんですね。

そしてありがとうとただただ言いたくなる。

お家を買ったけれど、手続きやリノベーションに追われて息も絶え絶えな時に、

私の家、を持つ喜び。私好みの素敵な家に住む喜び。

そんなのに意識を向けると、ポっとなりますね。

 

自分の喜びに目を向けると、敵に見えてた人にも突然ありがとうって思えたり、

山積みになってる手続きにも、まいいかと思えたりします。

勿論、人間ですから、その穏やかな感情が一生続くとは思えません。

でもストレスをためて、アップアップしてる時って、危険信号です。

そのうち、プツっと限界を迎えて鬱に振り切れちゃいますから。

アップアップしてる中で、定期的に感情を開放してあげる。

時々、喜びや感謝を心に与えてあげる。

そうすると、ストレスを心に積み重ねるのでなく、

定期的にリセットさせてあげることが出来る。

一度でも喜びや愛、感謝、自由という感情を感じる事が出来た心は、

その一瞬ちゃんとストレスから解放されて、リフレッシュ出来ている。

だからまたストレスな日々に戻って、何も変わらないように思えても、

確実に変わってる。

ストレスだけを蓄積するのと、定期的にリセットしてあげるのでは全然違う。

 

瞑想は木という心に水をあげるようなもの。

喜びは木という心に栄養剤をあげるようなもの。

そんな感じじゃないかなと私は思います。

だから喜びが見つかりそうなら見つけちゃう。

どんな事が起こっても、今ここに喜びは転がってただろうかって探しちゃう。

そんな癖がつくと、心は喜びという栄養でみるみる元気になるんじゃないかな。

 

私は水を与える努力を日々していますが、

今度は栄養についてももう少し意識しようと思います。

 

Joy to the world

 

皆さんの心が安らかでありますように。

 

Rea🐈🍷

愛は縛るものではない、愛とは自由

こんにちは。

今日も今日とて心と向き合っています。

 

新しい子猫という家族、家の購入、リフォーム、家具の搬入、引っ越しと

私の人生は今めまぐるしく動いています。

これから夏休みシーズンで人が減るので、仕事も大忙しです。

正直穏やかな流れの中で自分の心と向き合うと、心がポッと温かくなりますが、

このような状況で心と向き合っても、そこまでのゆとりにはたどり着けません。

でもそれでいいんです。それが私の今のベスト。

今起こってることは変えられない、でも私はその中でベストを生きればいい。

そのベストが一か月前のベストとは程遠くても、

今の私のベストは今でしかないのだから。

 

このような目まぐるしい日々の中で、子猫ちゃんに癒され奮闘しながら、

子猫ちゃんとの共同生活の中で考える事がありました。

それは、愛は縛るものではない、ということ。

 

手続きで日々忙しく、あれしなきゃこれしなきゃで頭が埋め尽くされていて、

その上、長年一人暮らしを堪能してきた私が、同居人を授かったわけで。

私一人のペースではなくなったわけです。

メール確認中に邪魔をされ、電話中にいたずらをされ、

会議中に腕の中で寝始める訳です。

外出中も大丈夫かなって気になって、あまり長く滞在しなかったり、

ご飯中も早く戻って来いと鳴かれるわけです。

そうこうしているうちに、ひーひーと言いたい毎日になっていたんですね。

いつの間にか子猫ばかりを優先していることに気付いたんですね。

自分のやりたい事は後回し。そして思ったんです。

でも子猫はそれを私に強要していないのではないか。

 

子猫は本能のままに、寝たいときに寝て、甘えたいときに甘えて、

姿が見えなくなると呼び、遊びたいときにいたずらしてるだけです。

私自身が、それを敏感に感じ取って、したいように出来ないのはかわいそうだから、

と子猫が腕で寝始めたらじっと動かず、子猫が暇そうな時は遊び、

子猫のために早く帰り、子猫のために早起きをし、

寝てる子猫を起こさないために料理をする回数が減ってるんです。

その結果、自分が後回し、置いてけぼりなんですね。

でも子猫はそれを強要してない。

子猫の愛は私を縛っていない、縛られているのは私自らの意志。

 

それに気づいた私は、こうしなきゃいけない、してあげなきゃいけない、

ではなくて、私は何がしたいのか、私は何をしてあげたいのか、

こっちの心の声に改めて耳を傾けるようにしたんですね。

これまでも心と向き合う中で、しなければならない、というルール、概念ではなく

自分の本音、したい、したくないの声を聞くというのはやってきましたが、

同居人がいるだけで、それが一層難しくなっていたんですね。

同居人は常に一緒にいて、常に素直な気持ちを表現してくる。

HSPの私は、ついうっかりそっちの感情に移入してしまうんですね。

だから改めて、世界は私中心でいい、という事を肝に銘じました。

子猫は私を縛ろうとはしてないのだから。

 

そして私は、こんな風にして私の”したい”という気持ちを整理しました。

夜はしっかり眠りたい。睡眠の質は私に取って欠かせない。なので夜は別室にしよう。

朝は早く起きてあげたい。ちゃんと寝られていれば早起きは問題ではない。

そして友達とご飯食べてる時も、友達との時間を満喫したい。

そろそろ疲れたし、子猫に会いに帰ろうと思ったときに、帰ればいい。

子猫が待ってるから、帰るんでなくて、私が子猫に会いたくなったから、帰る。

子猫が腕で寝ててかわいそうだから、料理を始めたいのに出来ないのでなくて、

料理を始めたいなら、始める。子猫がどうするかは子猫が決めればいい。

 

私たちがどんなに明日は晴れて欲しいって願っても、雨は降る。

そしたら雨の中で出来る事を探すだけです。

だから私がどんなに相手を優先したとしても、それは私をただ苦しめるだけで、

相手にとっては晴れがちょっと長く続いただけなのです。

だから私はただ私のしたい事を私のペースでしてればいい。

 

 

これは子猫との話ですが、日々の人間関係にも当てはまりますよね。

いかに人のために、人の期待に答えるために自分が生きているか。

いかに自分を後回しにしているのか。

 

うっかり子猫のペースに呑まれていた私は、

想像していた可愛い子猫との暮らしというより、

子育てに追われるママのような感覚になってたんですね。

こうしなきゃ、してあげなきゃって。

本当に可哀そうなのは私なんですよね。

可哀そうなのは、自分に蔑ろにされてる自分自身。

その結果イライラしていつも怒ってる飼い主より、

忙しい時は遊んでくれなくても、めいっぱい可愛がってくれる飼い主の方が

きっと子猫も嬉しいですよね。

子猫の愛は私を縛ってない、縛ってるのは私自身。

 

そしてそう思った時に、私の愛は人を縛ってるだろうかとも考えました。

縛られてるってことは、縛ってるんだろうと思います。

自分の受け取り方は自分の与え方、でもありますからね。

縛られた愛を受け取る私は、縛る愛を与えるんです。

こうしてほしいのに、なんでしてくれないの、これはやめてほしい、

こういうのは良くないと思う。とかね。

条件付きの愛。

愛って本来自由であるはずですよね。

愛と自由って、鶏と卵みたいに、どっちが先に生まれたのかわからないくらい

表裏一体な関係なんじゃないかなと思います。

私が自由を感じてる時、そこは無条件の愛の感情で満たされてます。

愛とは、を考えている人はもしかしたらまず自由になった方がいいかもしれない。

今の時代の愛って複雑で、掴みどころがないし、掴むのも怖い気もするけれど、

自由を手にした時、無条件の愛って自ずと感じられると思う。

自分で自分を縛るものを解いた時、突然全生物が愛おしく思えてくる。

頑張って生きてる皆が愛おしくて泣けてくる。

私はそれを何度も体験してるから、そうだと思う。

 

 

私は子猫ちゃんと無条件の愛、自由な愛を学んでいきたいと思います。

そのためにも、私が私を優先し、私の自由を優先する。

しなきゃいけないのか、それとも、したいのか。

これを心に聞く習慣がつくと、自分軸、自由に近づく感覚がついていきます。

 

皆さんの心が安らかでありますように。

Rea🐈🍷

 

一つ一つ自分の感情、行動を肯定していく

こんにちは。

 

今日はてんぱり易い、そんな自分を一つ一つ肯定することについて。

私はてんぱり易い事がたまにあります。

特に期限が迫っている、そんなときに思ってもない事が起こった時、

私は異常にてんぱる傾向があります。

 

そしてそういう時私は、とりあえず各関係者に連絡する、しちゃうんですね。

というのも期限が迫っているからこそ、もし状況をわかってる人がいれば

教えてもらった方が早いからです。勿論同時進行で自分も調べるんですけどね。

それが効率良くいく時と、

私が大げさにてんぱったせいで混乱を生み、恥をかいて終わる時と、に別れます。

期限さえ迫ってなければまだ冷静でいられるんですけど、

期限という制限になんだか私はトラウマでもあるようで、超超敏感なんです。

 

今日はお家を買った手続きで、

必要なお金を明日までに支払うという手続きの最中でした。

私の嫌いな期限前日ですね。代理人の方から今日連絡が来ている事に気付き、

なんだろうと開くと、支払った金額の内訳が掛かれていたんですね。

私は細かい作業が苦手なので代理人さんに詳細はおまかせというスタイルが

好きなのですが、内訳をみるとどうも認識と違う金額が見えるんですね。

その瞬間もうパニックです。もう支払ってしまったし、期限は明日。

返金はしてもらえるだろうか。どうしよう!

そして案の定、関係者各位連絡をしました。

なぜなら期限は明日、これは緊急事態と自分の中で判断したのです。

定時を過ぎているので、Agentさんは怒っていました。(ここは海外です)

そして改めて内訳を説明してもらい、結局その金額が正しいとわかりました。

 

ここで私の感情は、パニックからの大大大罪悪感です。

やばい、どうしよう!金額が違う!Agentさんどうしてくれんの!

からの、間違えちゃった、悪いことしちゃった、こんなことでてんぱって、

取り乱して恥ずかしい、嫌な客だよね、気分害したかな。

もう感情が右に左に大暴れで本当に疲れます。

罪悪感にどっぷり浸りそうだったのですが、寸前で耐えて、

まずは事実確認をしました。

 

明日期限のものに、疑わしい金額が見つかった。

→てんぱるのは当たり前。今日解決したくて当たり前。

その疑わしい金額は結局のところあっていた。

→金額が並んだエクセルが説明なく送られてきて、見方も知らされてない、

 間違えて当たり前。間違えた自分を責める余地はない。

Agentに関係者全員に送る前にまず私と確認してほしかったと言われた。

→Agentは毎日四六時中このプロセスをしているが、私は人生初。

 だからわからなくていい、間違っていい、聞いていい、てんぱっていい。

Agentに、私が多くFeeを請求したとでも思ったの?と言われた。

→知識がないからAgentを雇ってるのに、客がなぜてんぱったかへの配慮が足りない。

 これはAgentの問題で私の関与するところではない。

 

この事実確認をしないと、私は上記全てで自分を責めてしまうんですね。

てんぱった自分に嫌気がさし、恥をさらしただけの自分に嫌気がさし、

正しいデータだったのにそれを見抜けなかった自分の能力のなさを責め、

羞恥心と後悔、そして怒り・不快をちゃんと表現してくるAgentに怯える。

そしてそんな自分に軽蔑のまなざしを送る自分自身。

そんな風にして全ての罪を自分に着せるんですよね。

そうやって生きてきたようです。

でも一度こうやって事実に帰ると、罪を分散出来ます。

Agentの粗さも見えてきますよね。

 

専門知識のない客への配慮の欠陥

コストの説明不足

期限ぎりぎりのコスト詳細連絡

全体の流れの共有不足 等々

冷静な頭で見れば私だけ罪を背負うのは絶対違うんです。

 

何より一番私に罪悪感を抱かせたのがAgentの

私があなたに多くFeeを請求したと思ったの?という言葉です。

金額が違っているという事だけが私にとっての問題点だったのですが、

それがAgentの名誉とかプライドを傷つけたようです。

でも、私が100%Agentを信頼していなかったのも事実です。

これまでにも色々不安な点、信頼できない点があったからです。

私の発言で不名誉を受けたAgentへの罪悪感より、

Agentを信頼できないと判断していた自分を肯定してあげる。

 

私は怒られるとつい反射的に怖いと思い、私が悪い事をしたんだと思って

反射的に反省、謝罪をしちゃうんですけど、

海外に住んでいると、日本と違って、皆自分の不快な思いをはっきり伝えてきます。

でもそれはあくまでその人の主観的な意見。

日本のように相手の立場、気持ちを考慮して発言をしていません。

あくまでも私がどう思ったかのみに基づいて意見をいう文化です。

だからその意見のままに私が反省し続けていると息苦しいですよね。

彼女にとっては彼女が正しいように、

私にとってもあの行動は私の取れるベストな行動だったわけです。

一つ一つの自分を肯定することが出来れば、

反射的な罪悪感、反省、謝罪をしなくて済みますね。

 

こうしてれば、ああしていれば、で後悔反省をするのは間違ってます。

だってその時わからなかったのであれば、わからない、がその時の事実。

だからどんなにこうしてれば、で怒られようと責められようと、

わからなかったあなたを肯定していいんです。

 

 

勿論てんぱらないように、日々心穏やかに過ごす方が優先ですが、

人間ですから、どうしようもなくてんぱる時はあります。

だからそうなった時にいかに自分の一つひとつを肯定して、

過度な罪悪感、後悔から抜け出して、本来あるべき感情を感じられるか。

 

私の場合、本来あるべき感情は、解決してよかった。それだけです。

そして私はほど近くその感情だけを感じられています。

 

皆さんの心が穏やかでありますように。

Rea🐈🍷

 

事実に対して、その感情は適切かどうか

こんにちは。

 

今日も今日とて心と向き合っています。

私は最近猫を飼い始めたのですが、HSPを勃発しております。

というのも、簡単にいうと猫へ意識が行きすぎている、ということです。

意識が常に猫にあるんですね。

本来意識は常に私の心にあるべきなので、バランスを崩しそうです。

いかに自分のペース、スペースを守り、相手の在り方を認めながら、

共同生活をしていくか、というのを学んでいます。

ゆくゆく役立ちそうな気がします。

HSPは心配性、過干渉を発揮してしまいがちですが、心配よりも、信じる。

そうする事で適切な距離感に近づくかなって思ってます。

 

今日は、私の感情は事実に対して適切な度合いかどうか、について考えました。

例えば恋愛でいうと、好きな人とお別れした時、

あるべき感情以上に、過度な感情を感じているのではないか、という事です。

 

特にお別れといった状況において、

冷静に会話を最後まで続けるのは難しいと思います。

どんなに冷静を保とうとしても、感情が勝つことがあります。当たり前のことです。

そんな中でも自分なりにも自分の思いを出来るだけ伝えて、お互いの合意のもと、

お別れに結び付いたとします。

 

彼と別れてからの感情って複雑ですよね。

そう簡単に整理できるものではないと思います。

まずは悲しいのであれば悲しくていいんです。とことん泣く。そして寝る。

翌日もまだ悲しいかもしれません。悲しくていい。悲しいだけ悲しみましょう。

そして多少一旦落ち着いてきたら、事実を振り返るんです。

自分の妄想を切り離して、彼の言葉、起こった出来事、その事実だけを

冷静に見つめてみる。

なぜ彼はこう言ったんだろう、こういう意味だったのかな、

こうしてれば上手くいったのかな、どんな彼も受け入れるべきだったかな、

ここさえ変わってくれれば、彼はベストな人だったのにな。

そんな妄想がめまぐるしく降って湧いてくると思います。

でもこれは全部妄想だと認識しましょう。

事実だけを見つめましょう。

 

というのも、多少落ち着いた時点で、改めて事実と向き合う事をせずに

事実と妄想をごちゃませにしたまま感情に浸ってしまうと、

不釣り合いな悲しみや後悔を経験する事になりかねないからです。

例えば彼はまだ身を固める覚悟が出来ないと言ったとします。

こちら側は結婚をしたい。お互い話し合いの上で合意し、お別れしました。

なので事実は、求めるものの不一致で、合意の上お別れをした。だけ。

だた妄想を絡めると、

彼はそう言ったものの、私に魅力が足りなかったのではないか。

もしかして、他に好きな人が出来たのではないか、

もしかして、最初から遊びのつもりだったのではないか。

私はてんぱっていて、ちゃんと彼の伝えたかったことを理解できていたのだろうか。

もっと上手く話せれば、今後も彼といられたのではないだろうか。

とか、彼への疑惑、自分という価値への疑問、後悔と今後の可能性への期待。

そんなものが湧き始め、極度に落ち込んだり、無価値観を感じたり、

逆にまだ可能性はあるはずだと執着したりしてしまうと思います。

 

なので事実は何だったのか。それを冷静な頭で一度理解し、

妄想が暴れ始めた時は事実に帰る。

それを繰り返すと不釣り合いな感情から抜け出せると思います。

 

恋愛だけじゃなくて、

例えばプレゼンテーションの前に過度な緊張や不安を感じた時も、

事実は何だっけ。あなたが調査した結果を人に伝えるだけです。

調査結果を報告するのに、この動悸はつり合いが取れているだろうか?

取れていないのであれば、何か妄想が悪さをしているという事です。

上手く出来るだろうか、評価に影響するだろうか、恥をかきたくない。

これらが妄想で、あなたの感情に働きかけている。

事実は、あなたが調べた結果を人に伝えるだけです。

多少リラックス出来そうじゃないでしょうか?

 

こんな風にして、強い感情を感じた時には、

冷静な気持ちで一度事実を見つめてみる。

そしてこの感情が適切な度合いであるのか、考えてみるといいと思います。

 

あと、プレゼンテーション、とかディスカッションとか、

緊張を煽りやすい単語ってあると思います。

そういう単語は私は意図的に別の表現に変える事で、自分の中の緊張をほぐします。

プレゼンテーションは、

なんとなく非武装の私が大衆の目にさらされるようなイメージがありますが、

調べた事実を共有する場、という表現に返ると、

私はあくまでデータとそのデータを人に繋ぐ仲介者的な位置になります。

武装のまま大衆の目にさらされる者ではなくなるのです。

ディスカッションは、

なんとなく意見をぶつけ合う戦いの場というイメージがありますが、

自分の思いをシェアする場、という表現にすると、

戦う必要はなく、ただ私の思いを伝えればいいんだと思えます。

人と思いが違ってもいいんだって。

 

強い感情を感じたら、事実をなぞってみる。

そして事実に対して、感情の強さは適切か考える。

妄想が悪さをしているようであれば、

自分の感情を過度に掻き立てているのは何か自分と会話してみる。

 

自分の心にまずは耳を傾けることからですね。

皆さんの心が穏やかでありますように。

Rea🐈🍷

どんな感情が湧いたとしても、自分を責める必要はない

こんにちは。

 

今日も今日とて心と向き合っています。

最近は徐々に心が落ち着きを取り戻し、少し前のようなパニックや、

焦り、不安、恐怖と言ったものよりも安心を感じていられます。

焦り、不安、恐怖を感じている時って、

その感情におぼれているパニック状態と、

その感情に気付いて抜け出そうと焦っている状態とあると思います。

抜け出そうと思うほど焦る。でもいいんですよねそれで。

恐怖の中で冷静でいれる人なんていません。

焦ってる時って、これでいいんだなんて思えないけど、

焦ってる中でも自分と向き合う事を忘れていなければ、

それでいいだよね。って抜け出すとわかりますよね。

そして私はちゃんと焦る、怖がる自分と向き合ってた。上出来です。

 

感情との向き合い方って難しいですよね。

いつもお伝えしているように感情を眺めることは大事です。

それは自分を冷静にし、パニックから抜け出すことが出来る。

ではなぜ感情を感じずに、眺めるの?それでいいの?という疑問も出ると思います。

生きてきた年数だけ感情を感じてきて、それが当たり前だったと思います。

なのでそれを感じるな、眺めろと言われたところで、

え、それっていいの?していいことなの?っていう

なんとなくしっくりこない感ってあると思うんですよね。

私もたまになんでだっけ?いいんだっけ?ってよくわからなくなるんですね。

でも感情があなたを苦しめているなら、知っておいた方がいい事があります。

それは、感情は生理現象で、本当のあなたではないという事。

本当のあなたの感情は、

湧き出る感情を眺めて冷静な頭で心に問いかけた時に見えてきます。

 

例えば、なんだか気分が晴れない日に、気に障ることを言われて、

ついカッとなって言い返したとします。

きっと、怒りと後悔が入り混じったような感情が湧くと思います。

うざ、なんでそんなこと言うのという気持ちと、

私今日機嫌悪かったから八つ当たりだったかもという気持ち。

でもこの感情たち、それは人間の体の機能として当たり前に湧くものなんです。

それはあなた、ではありません。

小さなことでイライラするあなたでも、

つい感情的になって人に嫌なことを言うあなたでも無い。

それは体の生理現象なんですね。つまり、人間みんなそう、なんです。

だからどんな感情が湧き出ても、ほう、怒ってるんだ、悪かったなって思ってるんだ。

そう眺めて、自己否定に走るのではなく、今日も体は正常に機能している。

それでいいんです。

 

でも悪い事言ったなら、やっぱり後悔するって思う方もいると思います。

悪い事は言っていいんです。

大丈夫です。先ほど言ったように、人間みんなそう、なんです。

今回はあなたが悪い事を言った番だったけど、

言われた人も必ず別の人に悪い事言っていますから。

世の中は宇宙全体でGive and Takeなんです。

一方的に自分が悪い事したように思えても、宇宙全体で見たら皆お互い様なんです。

一方的に嫌な事言って後悔する時と、一方的に嫌な事言われて腹が立つ時と、

ありますよね。ちゃんとGive and Takeになってるでしょう。

なので無駄に感情に振り回されて、

自己否定したり人を責めたりをするのはやめましょう。

心の穏やかさからかけ離れてしまいますから。

 

どんな感情も、あなたの体がしっかり働いている証拠です。

そう思うと、その感情に気付き、認め、手放すことが出来ると思います。

例えば私は仕事中急がしい時に、初歩的な質問をされるとイライラします。

昔なら穏やかでいられない自分にまた腹が立って、

強く当たった相手に申し訳なくなって、そもあとも悶々としたり、

と複雑な感情と行動をしていました。

ただ、考え方を改めてからは、

イライラしているんだね。私の体はイライラしている。

イライラしていい。

悪かったかなって思ってるんだね。体の生理現象だもんね。

後悔するのは当たり前だよね。

そんな風にして、感情をその時、その感情が起こった時に置いてこれる。

イライラや後悔を後に引きずらなくなるんですね。

 

感情を自分自身だと思っていると、

こう思う私は間違ってるんじゃないか、とか、

こう思った私は嫌な奴だとか、壮大なTopicになってくるんですよね。

感情が私じゃないとなると私はなんなの?ってなると思います。

例えばさっきの私の忙しい時にされる質問の例でいうと、

イライラという感情を見送った私はどう思うでしょうか。

手が空いたら答えてあげようって思うんですね。

前回のブログで書いたように、自分のペースを保つ、です。

つまり私は教えてあげたい気持ちがある。ただ、時間がある時にね。

って思ってるのが本当の私の気持ちです。

色んな感情に振り回されて自己否定に走るよりも、

ああ私って教えたい気持ちがあるんだ、

でも今は忙しいからイライラしたんだねって気付けるし、

そんな自分に心地よさを感じると思います。

この本当の気持ちに従うんです。

感情という雑音を見送って、この本当の気持ちに従ってあげると

とても気持ちよく日々が過ごせるんですね。

 

自分の本当に気持ちが見えたら、実行するんです。

相手に伝えるんです。時間が出来たら回答するねって。

それが30分後でも1時間後でもいいんです。

自分のペースを保っていい。

あなたの人生なんだから。

 

感情はあなたではない。体の生理現象。

怒り、嫉妬、憎しみ、悲しみ、妬み、人の幸せを喜べないとか、色々。

でもどんな感情を持った自分も否定する必要がない事を知った。

だから自己否定に走ったり、こんな私最低!って壮大なドラマを行くんじゃなくて、

生理現象である感情を見送って、で、私は本当はどうしたいの?

それが本当のあなたの気持ち。

これに従って生きていく。

 

皆さんの心が安らかでありますように。

Rea🐈🍷

 

自分のペースをいつも守り、自分が全て決断しているという意識

こんにちは。

 

今日も今日とて心と向き合っています。

今日は後悔という厄介な感情のお話です。

 

後悔って大きいものから小さいものまでありますよね。

大きいものは印象に残っているので、すぐに思い出せるかもしれませんが、

人知れず小さい後悔って日々感じていると思います。

 

例えば私は今日毎月通っているサロンでのお会計の際に、

いつもよりも金額が多い気がするなと思ったんです。

でもちゃんと記憶していたわけではなかったので、

曖昧なまま店員さんにこの金額あってますか?と聞きました。

彼女はこれで合ってますと言ったので、

そうだったかなあと思いながらも、そうなんだろうと思い払いました。

ただ、念のため後で前回の支払いと確認したらやはり多く払ってたんですね。

そのままお店に引き返して、返金をお願いしたのですが、

担当した方が今施術中なので、後程確認して連絡しますという事でした。

 

私はHSPなのと、まだメンタルが万全ではない事もあって、

こんな小さなことでも、ずるずる心配や不安を引きずるんですね。

本当に返金してくれるだろうか、

何かうまい事ごまかして返金しないなんてこともあるんじゃないかな、

海外だし可能性としてないわけじゃないな。

2時間たったけど電話が来ないな。番号が間違ってるんじゃないだろうか。

もやもやもやもや・・・

そして、こんな心配事を増やすなら、あの時レジで私がちゃんと確認すればよかった。

お姉さんを信じた私が悪かった。

こんな後悔や自己嫌悪を日々感じますね。

 

起こってしまった事への後悔、またそこからくる心配や不安は

自分の心と会話していけば、ほぐすことは可能です。

ただ、日々なんとなくやり過ごしてしまうと、

このような小さな後悔って数えきれないくらい発生していて、

その都度、心を多少なりと苦しめてるんですね。

なのでそもそも後悔に繋がらないための意識改革をすることが大事です。

 

日々とあることを意識すれば、

後悔とそこからくる心配不安を減らす事が出来るんです。それは、

 

自分のペースをいつも守り、自分が全て決断しているという事を意識する事。

 

まずは自分のペースを守ることについて。

例えば今回の場合、私は金額が違う気がすると思いながらも、

自分では確認をしませんでした。

なぜなら時間が掛かって迷惑をかけると思ったからです。

私はその時確認したい気持ちがありましたが、

店員さんの様子、待っている人の様子を見て、ペースを人に譲ったのです。

人に迷惑をかけてはいけない、人を待たせてはいけない、

自己中心的な内容で時間を割いてはいけない、という

自分の中のルール、概念により衝動的に取ってしまった行動です。

ただ私が私のペースを守れていれば、時間が掛かろうと確認することが出来た。

そして金額の違いを発見し、正しい会計をして、

ストレスフリーなその後の時間を過ごせたわけです。

絶対にそっちの方が自分の時間の質が上がりますよね。

HSPは周りの様子を敏感にキャッチするので、ペースを人に譲りがちです。

でも実際には誰も私を急かしていないし、

私の会計の番なのだから、堂々と満足いくまで時間をかけて確認していいいんです。

いつも人にペースを譲ってきたHSPは、人の目を感じると

スムーズに確認出来なかったり、上手く自分のペースを守れないかもしれないですが、

大丈夫です。HSPが思うほど人は急いでいないし、人を急かしていない。

なのでまずは自分のペースを守ること。

ペースを人に譲らなくていい事を知りましょう。

 

そしてその上で、全て自分が決断をしているという事に気付く事。

私はお会計時に金額が違うかもしれないと思っていました。

それでも払う事を私が決断したんです。

店員さんは私に強要はしてませんから。

もし店員さんから圧を感じたとしても、支払いを実行してるのは自分なのです。

一つひとつの行動は私の決断のものに行われている。

それに気づき、その意識を持つことで、後悔や他人への怒りなどは収まります。

ほら間違ってたじゃない!という人を責める気持ちは自分を幸せにはしませんよね。

皆が急かすから!とイライラしても解決するばかりか、不満が溜まっていきます。

金額は違うかもしれないけど、今は払おう。

そして待っている人たちにレジを譲ろう。そう私が決めたんです。

そう気付く事は自分の心を癒し、解決へと導く冷静な頭を取り戻します。

 

そしてやっと冷静にその状況をみて、どう解決しようか、と考える事が出来るのです。

感情でその状況を判断していたところから、では今何が出来るだろうかという

解決脳へと移行していくことが出来るのです。

万が一お金が戻ってこなくても、払うと決めたのは私だから、

まあいいだろう。寄付をしたと思おう。

電話を待って心配でしょうがない時は、

こちらから電話をして状況を確認しよう。

起きた出来事や、私を待たせてる人、に振り回されるのでなく、

自分からどんどん解決への一歩を踏み出していく。

そうすることで、漠然とした心配や不安は徐々に取り除けます。

 

そのためにも日々の意識改革。

自分のペースをいつも守り、自分が全て決断しているという意識

を持つように心がけましょう。

いつも自分の心に耳を傾けていると自分のペースを守りやすいです。

 

皆さんの心が安らかでありますように。

Rea🐈🍷

罪悪感を手放していく

こんにちは。

 

今日も今日とて、心と向き合っています。

前回のブログで、感情をリリースして泣いて、とてもすっきりしました。

そして、ここ2週間くらいずっと読んでいた本があるのですが、

正直ずっとこれが今の私に必要な内容なのかはわからないなと思ってました。

今気持ちがすっきりしてやっと、

これは私に必要な情報だったと思えます。

その本の内容は罪悪感を手放す方法です。

 

罪悪感というのは人知れず生まれる感情です。

例えば寝坊したとします。どう感じますか?

ヤバイ!怒られる!いい大人なのに!会議があるのに!

出社して謝罪して、許してもらってもなんだかもやもやしませんか?

結局会議出れなかったな。遅刻して信用を失ったかな。

これは罪悪感から来るものです。

例え人があなたを許しても、あなたがあなたを許していない。

それが罪悪感だそうです。

うむ・・確かにと思いました。

 

そして、新しい自分になる時、何か新しい事に挑戦する時、

必ずこの罪悪感が大きな壁となってやってくる。

新し試みにこれでいいのだろうか、という反発の感情が生まれるからです。

私は数か月前に新しい自分になった感覚がありました。

自分と向き合い続けて、新しい思考を手に入れた感覚がありました。

ただ更にもう一歩踏み込んで自分を自由の表現していくと決めた時、

この罪悪感に苦しめられたのだなと思いました。

そして軽い鬱症状まで出てしまった。

 

私は自分の意見を言う事に慣れていません。

それは前回のブログで書いたように、私の意見はいつも拒絶されたから。

意見は言わない方が幸せだった。

人を怒らせなくて済む。怒られなくて済む。嫌われなくて済む。

なので自分を表現していくことで、自分の思いを伝えるようになると、

その都度、言ってよかったんだろうか、嫌な気持ちにさせてないだろうか、

まだ私を好きでいてくれるだろうか、こういう気持ちが生まれる。

これは意見を言う自分を許していいのか、戸惑っている、

また意見を言った自分を許してない、責めている状態。

この罪悪感や自分を責める根本には、

私が生きて来た中で植え付けられた概念、ルールがあります。

 

人に嫌なことをしてはいけない、言ってはいけない

自分の話ばかりしてはいけない。

自分の思い通りにしようとしてはいけない。

嫌なこともやらなければいけない。

 

こんな私の中のルールが、意見を言った後の罪悪感を生んでいるんです。

このルールを破った自分を責めている。

そのせいで人もあなたを責めていると感じて、その人を逆に責めたい気持ちになる。

誰もあなたを責めてないのに、自分が自分を責めてるせいで、

人を怖いと感じる。悲しいですよね。

でもこのルールって法律じゃないんです。

このルールって人それぞれ違うんです。

あなたの周りにも、言いたいことを好き放題言う人はいますよね。

好かれてる嫌われるは置いといて、その人は気持ちよさそうです。

なぜならその人は、私の持っているようなルールを持ってないから。

つまりこのルールは変更可能なんです。

一度正反対のルールを唱えてみます。

 

人に嫌なことをしていい、言っていい。

自分の話ばかりしていい。

自分の思い通りにしようとしていい。

嫌なことはやらなくていい。

 

どうでしょう。突然世界が広がる感じがありませんかね。

だって実際にこういうルールを持っている人達はいるわけです。

自分で決めた自分のルールなら、自分を幸せにするものに変えていきたい。

 

なので今は、人を責めてる時、自分の中でもやっとするものがある時は、

一度立ち止まって、じっくり自分と会話して、自分のルールを見つけます。

例えば今日はManagerに質問をされて、回答をしたのですが、

Managerは業務をしていないせいかいまいち掴めなかったようで、

一回のやり取りで終わりそうなところ、10回くらい説明したんですね。

私はもやもやして、Managerへのいら立ちを感じました。

それと同時に、上手く説明が出来てないんだろうか、

わかりにくい私をManagerは責めてる気がする、と自分を責めてました。

なので、やり取りが終わった後に、時間を取って自分と話しました。

イライラしたんだね、イライラするよ、していいよとまずは自分を肯定して。

どんなルールが今あったのか考えました。

Managerは業務をわかっているべきだ。

人に甘えてはいけない。

一度で理解しなければいけない。

自分の頼み事で人の時間を奪ってはいけない。

説明はわかりやすくなければいけない。

人には親切にしなければいけない。

こんなことでイライラしてはいけない。

ざっとすぐにこれくらい浮かびました。

これを真逆に置き換えてみましょう。

Managerだからといってわからない業務があってもいい。

人に甘えていい。

一度で理解しないくていい。

自分の頼み事で人の時間を奪っていい。

説明がわかりにくくてもいい。

人には親切に出来ない時があってもいい。

小さなことでイライラしていい。

 

こう考えられたらどんなに心が自由になるでしょうね。

そんな自由な心を目標に、着実に進みたいと思います。

まずは自分のルールに気付いて、変更していく。

そうすることで、自分を許し、人を許せるようになる。

人を責めたり否定するのも、人を自分のルールに当てはめてるから。

私のManagerは私のルールでは裁かれてしまったけど、

別の人のルールでは裁かれる対象じゃない。

私は私を人を幸せにするルールに変えていく。

 

Rea🐈🍷