gluewineのブログ

HSPなReaです🐈🍷身も心も温まるシナモンが入ったあったかいGlue Wein🍷でほっこりブログ

愛は縛るものではない、愛とは自由

こんにちは。

今日も今日とて心と向き合っています。

 

新しい子猫という家族、家の購入、リフォーム、家具の搬入、引っ越しと

私の人生は今めまぐるしく動いています。

これから夏休みシーズンで人が減るので、仕事も大忙しです。

正直穏やかな流れの中で自分の心と向き合うと、心がポッと温かくなりますが、

このような状況で心と向き合っても、そこまでのゆとりにはたどり着けません。

でもそれでいいんです。それが私の今のベスト。

今起こってることは変えられない、でも私はその中でベストを生きればいい。

そのベストが一か月前のベストとは程遠くても、

今の私のベストは今でしかないのだから。

 

このような目まぐるしい日々の中で、子猫ちゃんに癒され奮闘しながら、

子猫ちゃんとの共同生活の中で考える事がありました。

それは、愛は縛るものではない、ということ。

 

手続きで日々忙しく、あれしなきゃこれしなきゃで頭が埋め尽くされていて、

その上、長年一人暮らしを堪能してきた私が、同居人を授かったわけで。

私一人のペースではなくなったわけです。

メール確認中に邪魔をされ、電話中にいたずらをされ、

会議中に腕の中で寝始める訳です。

外出中も大丈夫かなって気になって、あまり長く滞在しなかったり、

ご飯中も早く戻って来いと鳴かれるわけです。

そうこうしているうちに、ひーひーと言いたい毎日になっていたんですね。

いつの間にか子猫ばかりを優先していることに気付いたんですね。

自分のやりたい事は後回し。そして思ったんです。

でも子猫はそれを私に強要していないのではないか。

 

子猫は本能のままに、寝たいときに寝て、甘えたいときに甘えて、

姿が見えなくなると呼び、遊びたいときにいたずらしてるだけです。

私自身が、それを敏感に感じ取って、したいように出来ないのはかわいそうだから、

と子猫が腕で寝始めたらじっと動かず、子猫が暇そうな時は遊び、

子猫のために早く帰り、子猫のために早起きをし、

寝てる子猫を起こさないために料理をする回数が減ってるんです。

その結果、自分が後回し、置いてけぼりなんですね。

でも子猫はそれを強要してない。

子猫の愛は私を縛っていない、縛られているのは私自らの意志。

 

それに気づいた私は、こうしなきゃいけない、してあげなきゃいけない、

ではなくて、私は何がしたいのか、私は何をしてあげたいのか、

こっちの心の声に改めて耳を傾けるようにしたんですね。

これまでも心と向き合う中で、しなければならない、というルール、概念ではなく

自分の本音、したい、したくないの声を聞くというのはやってきましたが、

同居人がいるだけで、それが一層難しくなっていたんですね。

同居人は常に一緒にいて、常に素直な気持ちを表現してくる。

HSPの私は、ついうっかりそっちの感情に移入してしまうんですね。

だから改めて、世界は私中心でいい、という事を肝に銘じました。

子猫は私を縛ろうとはしてないのだから。

 

そして私は、こんな風にして私の”したい”という気持ちを整理しました。

夜はしっかり眠りたい。睡眠の質は私に取って欠かせない。なので夜は別室にしよう。

朝は早く起きてあげたい。ちゃんと寝られていれば早起きは問題ではない。

そして友達とご飯食べてる時も、友達との時間を満喫したい。

そろそろ疲れたし、子猫に会いに帰ろうと思ったときに、帰ればいい。

子猫が待ってるから、帰るんでなくて、私が子猫に会いたくなったから、帰る。

子猫が腕で寝ててかわいそうだから、料理を始めたいのに出来ないのでなくて、

料理を始めたいなら、始める。子猫がどうするかは子猫が決めればいい。

 

私たちがどんなに明日は晴れて欲しいって願っても、雨は降る。

そしたら雨の中で出来る事を探すだけです。

だから私がどんなに相手を優先したとしても、それは私をただ苦しめるだけで、

相手にとっては晴れがちょっと長く続いただけなのです。

だから私はただ私のしたい事を私のペースでしてればいい。

 

 

これは子猫との話ですが、日々の人間関係にも当てはまりますよね。

いかに人のために、人の期待に答えるために自分が生きているか。

いかに自分を後回しにしているのか。

 

うっかり子猫のペースに呑まれていた私は、

想像していた可愛い子猫との暮らしというより、

子育てに追われるママのような感覚になってたんですね。

こうしなきゃ、してあげなきゃって。

本当に可哀そうなのは私なんですよね。

可哀そうなのは、自分に蔑ろにされてる自分自身。

その結果イライラしていつも怒ってる飼い主より、

忙しい時は遊んでくれなくても、めいっぱい可愛がってくれる飼い主の方が

きっと子猫も嬉しいですよね。

子猫の愛は私を縛ってない、縛ってるのは私自身。

 

そしてそう思った時に、私の愛は人を縛ってるだろうかとも考えました。

縛られてるってことは、縛ってるんだろうと思います。

自分の受け取り方は自分の与え方、でもありますからね。

縛られた愛を受け取る私は、縛る愛を与えるんです。

こうしてほしいのに、なんでしてくれないの、これはやめてほしい、

こういうのは良くないと思う。とかね。

条件付きの愛。

愛って本来自由であるはずですよね。

愛と自由って、鶏と卵みたいに、どっちが先に生まれたのかわからないくらい

表裏一体な関係なんじゃないかなと思います。

私が自由を感じてる時、そこは無条件の愛の感情で満たされてます。

愛とは、を考えている人はもしかしたらまず自由になった方がいいかもしれない。

今の時代の愛って複雑で、掴みどころがないし、掴むのも怖い気もするけれど、

自由を手にした時、無条件の愛って自ずと感じられると思う。

自分で自分を縛るものを解いた時、突然全生物が愛おしく思えてくる。

頑張って生きてる皆が愛おしくて泣けてくる。

私はそれを何度も体験してるから、そうだと思う。

 

 

私は子猫ちゃんと無条件の愛、自由な愛を学んでいきたいと思います。

そのためにも、私が私を優先し、私の自由を優先する。

しなきゃいけないのか、それとも、したいのか。

これを心に聞く習慣がつくと、自分軸、自由に近づく感覚がついていきます。

 

皆さんの心が安らかでありますように。

Rea🐈🍷